35歳になった

 今日が誕生日で、35歳になった。
 少しは落ち着いてきたのだか、錆ついてきたのだか、展望が開けてきたのだか、焦点がまだ定まっていないのか、よくわからない(焦点が定まっていないのだとしたら、まだ落ち着いていないということになるかもしれないし・・・)。自分で限界を定めないで周りから引き出されたいという思いもあるが、もう少し自分本位のスタイルでリズムを刻みたいとも思う。不惑の年までまだ間があるし、まあ迷っていいのだろう(「30にして立つ」はクリアしているのか、という考え方もあるが)。なんかこう書くと、星占いにでも振り回されちゃいそうな感じだな(笑)。さすがにもう少し、軸らしいものはあるつもりなんだけど。
 20代の後半から、歳がいくつ増えようがあまり関係ないとか、もうこの年になったら誕生日なんか特別視しないとか、そういう思いのほうが強くなったようで、誕生日を「聖なる時間」のようにして迎えることは、ほとんどなくなってきたのだけれど、今年はありがたいことに、特別な一日を味わうような気持もいだくことができた。
 昼はキッシュとカシスのスパークリングワイン、食後にケーキ、夜はラザニアと赤ワインでおなかいっぱい。
 赤ワインは、近所の酒屋で1995年のボルドーが安く出ていたので、それを飲む。20歳の頃を思い出す。懐かしさに浸っていると、しっかり痛いことも思い出す。そうか、10年以上も前のワインなんて普段飲まないけれど、「あの年は・・・」なんて思い出す効果があったりするのだな。

 ちょっと引いておきたくなった一節。ヴァレリー『エウパリノス』より。

ソクラテス
 君にいったことがあるよ、私は多数として生まれ、ただ一人として死んだって。生まれてくる子供は数知れない群衆だが、人生はそれをかなり早々にただ一人の個人にしてしまう。おのれの存在を知らせ、やがて死んでいく個人にね。私といっしょにたくさんのソクラテスが生まれたけれども、そのなかから少しずつ、例の法官と毒にんじんのご厄介になったソクラテスが出てきたのだ。
パイドロス
 そしてほかのソクラテスはみんなどうなりましたか。
ソクラテス
 観念さ。観念の状態にとどまった。存在することを要求しにきたのだけれども拒絶されてしまったのだ。私はそれを胸のなかにしまっておいたよ、私の疑念や矛盾としてね。・・・・・時たまそれら人格の萌芽が機会にめぐまれると、すんでのことでわれわれの性質が変わりかけることがある。自分にそんなものがあろうとは思ってもみなかった好みや才能をわが身に見出す。音楽家が将軍になり、水先案内が自分を医者だと思う。自分の美徳に鼻高々と敬意を払っていた男が、人目をしのぶカクスのような男や盗人根性がわが身にひそんでいることを発見する。
パイドロス
 人間のある年齢はちょうど四辻のようなものだというのはいかにもほんとうですね。
ソクラテス
 青年時代というものは妙に分れ道の真中に位置している。