メール・ノエル

 ミシェル・トゥルニエの『7つのコント』に入っている、「メール・ノエル」という短編をご存知だろうか。
 物語の舞台には、20世紀初頭という時代、そして教権主義と反教権主義が正面から争っているフランスの小さな村という場所が選ばれている。私が一応専門的に勉強していることにかなり関係している設定だが、それはともかく物語では、村に若い女の小学校教師が赴任してくる。この新任の先生は、はたしてどっちの陣営の側の人間かと村の人が注意の眼差しで見守っている。どうやら彼女は離婚しているらしいということが伝わって反教権主義側の人間が喜べば、彼女が日曜日ミサにやってきたと言ってカトリック側が喜ぶといった具合である。村にはクリスマスが迫っていて、教会ではイエスの誕生を描く劇をやることになっているのだが、赤ん坊のイエスの役に選ばれたのは、この先生の赤ちゃんである。けれどもこの赤ん坊、司祭がありがたい説教をしているときに、厳粛な雰囲気のなかで、わんわんと泣き出してしまう。そこへサンタがやってきて赤ちゃんを抱き上げたと思ったら、実はそれが女の先生だったというわけ。赤ちゃんは彼女の胸に抱かれて、安らかな顔をしましたとさ、という話である。
 タイトルのMère Noëlというのは、ペール・ノエルをもじって、サンタはお母さんだったということであろう。3ページ程度の本当に短いもので、トゥルニエには他にもいい話がたくさんあること思えば、まあそこそこの出来ではないかと思うが、二元論的対立を軸に話を進めながら、それをひょいと迂回して情緒的なものを浮かび上がらせるトゥルニエらしさは、この話にもよく出ていると思う。
 さて、イエスの誕生と言えば、このシーンを再現した馬小屋の模型のことを、フランス語ではクレッシュcrècheという。この単語には「揺りかご」の意味もあり、さらには「託児所」のことも指す。というより、この言葉は、今では「託児所」での意味で使われることが最も多いだろう。そのクレッシュ主催のクリスマス会があったので、親子3人で出かけてきた。
 規模は思っていたより大きく、子どもとその親、スタッフを含めたら80人くらいだっただろうか。前方にはツリーが飾られ、人形劇の舞台が設えられている。
 舞台の幕が上がるまで、私が期待していたのは、馬小屋とかマリア様とか東方の三賢人とかだったのだが、実際に話が始まってみると、うさぎの子どもが大人にかまってもらいたいのに、大人たちはクリスマスの準備で忙しく、「ねえ、ちゅーってしてよ」と言っても「あとでたくさんしてあげるからね」と言われるばかり。そこを狐がほだして、うさぎを食べてしまおうと計画するのだが、うさぎの子どもは地中の虫に助けられるというお話。そうか、考えてみればライシテの国だものな。会場にはよく見るとヴェールを被ったお母さんも2、3人見えるではないか。なるほど、公共のクレッシュで、キリスト教色を出すのはまずいのだろうなと納得する。
 劇が終わると、サンタが登場して、みんなの視線をさらった。わあっと周りに群がった子どもたちを従えながら前までやってくると、あとは子どもたちの名前がひとりひとり呼ばれて、プレゼントが配られた。ところが、サンタは子どもをわざわざ抱っこしたり、そこを親が写真に撮ったりするので、回転が遅くなる。
 それで人の動きの波が変わった。実は会場にはリール市長のマルティーヌ・オブリが来ていて、最初に少し紹介されただけで別に本人は挨拶することもなく人形劇やサンタの登場を見ていたのだが、親が子どもを連れて彼女の周りに集まりだした。
 セゴレーヌ・ロワイヤルよりも人を惹きつける魅力という点では劣るのかもしれないが、女性の政治家としての手腕は、このジャック・ドロールの娘の方に軍配が上がるかもしれない。目が地元にあまり向いていないといって、リールの人たちからの人気はさほど高くなかったりするようなのだが、町内会のような雰囲気のクリスマス会に気軽に足を運ぶ態度は好感を与えるものがあるようで、少なくとも大人たちは、珍しくもない(?)サンタよりも、面と向かっては話をする機会はなかなかないマルティーヌ・オブリの方に注意が向かっているようだった。
 あるいはこれが政教分離法から101回目のクリスマスにおける「二つのフランス」の姿なのかもしれない。そんなことを漠然と思いながら娘をだっこしていると、きりっとしたメガネをかけた年配の女性が「かわいいわね」と声をかけてきた。だっこをしてもらうと、オブリ女史の秘書だったらしく、娘はそのまま市長にだっこしてもらうことに。砕けた雰囲気の場だったということもあるが、テレビで見るよりも、よっぽど親しみの湧く物腰で、それでいてやはり「もの凄く強い」ものを持ち合わせた雰囲気を漂わせていた。サンタさんよりも人気がありますね、と言おうとして、
 On s’approche de vous, plutôt que du Père Noël.
と挨拶すると、にこやかに、
 「メール・ノエル!」
の答え。オブリの台詞なので、「母は強し」という方向でまずは受け取ったが、いや、待てよ、Mèreというより、Maireと言いたかったのかなと思い直す。すると、「サンタより市長でしょ」ということだったのか。フランスで結婚するとなれば、必須なのはmariage civilで、mariage religieuxは、法制上はあくまでオプションだ。教会で式を挙げる前に、まずは市庁舎に行くというのがお定まりのコースなのだ。On est dans un pays laïqueとでも言ってすばやく切り返すことができたら、今度はどんな返しがあっただろうか。
 それはさておき、娘の方は、マルティーヌ・オブリにだっこされたなり、ぎゃあと泣き出す始末。そこまで人見知りをする方ではないとは思うのだけれども、どうやらうちの娘は、初対面の割と恰幅のよい婦人にだっこされると、よく泣く傾向にある。慣れると問題ないのだけれども。やはりこれは、動物占い隠れキャラ子じかが原因か。
 そういうわけで、泣く思いまでして撮ったオブリ氏とのツーショットです。そのあとサンタさんのところに行ったら大人しくしていて、子どもはやっぱり「市長よりもサンタ」のようです。(き)