顔を隠すことについて

 ジェラール・ブシャールの『インターカルチュラリズム』(まだ邦訳なし)を読んでいる。
スカーフやヴェールの着用は、フランスの学校では禁じられているが、ケベックの学校では禁じられていない。ブシャールの考えでは、教員が被ってもよいという。他方、ニカブやブルカのように全身を覆うヴェールは、顔が見えないために、教育現場および国家の関連機関では認められないという。
ここまでは自分でもよく理解していたつもりだったが、次の一節を読んだところでふと立ち止まった。
「市民は国家(あるいは公的な機関)と関係を結ぶ際に、公務員が顔をきちんと見せて応対するよう要求することができる。この要求は、私たちが暮らしている文明の根底にある。」
 ニカブやブルカで顔を隠しているわけではなくても、顔の見えない公務員、広く言えばシステムに顔を奪われてしまった人間は、「文明」社会にも実はかなりいて、それは文明における反文明になっているのではないかということ。