ドニ・ガニョン氏講演会まとめ

 5月28日に行なわれたドニ・ガニョン氏の講演会「「混淆とメティス――アイデンティティの形成過程」のまとめ。
 狩猟採集によって暮らしていた先住民Mamit Innuat(東部のイヌイット)においては、獲物を狩るというよりも、獲物が狩られるようにする力を持つのがよいシャーマンと考えられていた。狩りの獲物はみんなで分けられ、うやうやしく自然に返され、それが生まれ変わって、また必要に応じて狩られるというサイクルができていた。その中心にいた神的な存在はMishtapeuatミシュタペオと呼ばれる巨人で、その世界観では人間は必ずしも特別な地位を占めていなかった。
 ところが、カトリックの宣教師がやってきてもたらした世界観は、人間中心主義的なものであった。西洋人はまたイヌイットにドラッグやアルコールをもたらした。そこから生じる「問題」をミシュタペオがうまく収めることができないなかで、聖アンナに頼る形の信仰が生まれてきた。聖アンナに新しくあてがわれたのは、ミシュタペオと機能的・構造的に等価な位置である。これを指してガニョン氏は「宗教的混交」(メティサージュ)と呼ぶ。1867年、近代国家としてのカナダが生まれ、西進するなかで少なからぬメティスの共同体は解体した。
 以来ほぼ100年のあいだ、メティス(の子孫)はしばしばその出自を隠して生きてきた。しかし20世紀後半、とりわけ1980年代以降、メティスとしてのアイデンティティの承認を求める動きが出てきて、その数は増加の一途をたどっている。承認をめぐっては法定で争われることもしばしばである。
 会場からのコメントと質問:中米のメスティーソには法的地位がないが、カナダのメティスは法的地位を持つことが興味深い。それにしても、なぜフランス人入植者を父に持ち、先住民を母に持つメティスは、母親のもとにとどまらず、メティスの共同体を作ることになったのか。
 上記質問への答え:カナダのメティスは商取引の文脈で生まれてきたことに関係している。フランスの商人が毛皮を求めて移動するのに合わせて動いていたメティスは、最初のうちはもとの共同体に戻れたが、土地は広大で冬はあまり移動できない。そのうちに独立した共同体を作るようになった。
 別の質問:メティスの承認をめぐって裁判も起こるという話だが、世代という観点から言って、メティスと非メティスの境界はどこになるのか。
 答え:アメリカだと「血」によって定義されるが、カナダでは「文化」が決め手となる。メティスはヨーロッパ人が来なければ生じ得なかった現象だが、「先住民」の範疇になっている。1885年頃に近代カナダによるメティスの土地の接収が行われていたが、それよりも前にあった共同体か否かがひとつの基準。
 以上、専門外のことでもあり、すでに忘れはじめている部分もあるけれども、ひとまず防備録がわりに。