中島敦生誕100年

 本日2009年5月5日は、中島敦の生誕からちょうど100年の日に当たっている。『中央公論』の2月号には、「生誕100年の作家たちを読み直す」という企画があって、中島のほか、松本清張太宰治大岡昇平埴谷雄高が取り上げられている。
 中島敦について書いているのは車谷長吉で、「山月記」の李徴が告白する「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」に注目している。原文では以下のくだり。

 何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

 この自尊心と羞恥心が、いわゆる近代文学、近代的自我の核心的なテーマのひとつだと思われるが、私たちの時代はそこからどれだけ隔たったのだろうか。ずいぶん古びたテーマのように思われる一方で、今だにこのテーマは反復・変奏されているようにも思われる。
 それにしても、「山月記」を読み直してみて、漢文調の凝縮力はすごいなと改めて思う。李徴が発狂するまで、たった一段落である。物語全体が、新潮文庫で12ページである。短編小説が目指す完璧というのは、やはりすごい。

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 「山月記」と並ぶ表題作「李陵」は、「義」とは、「忠」とは、「歴史」とは何かについて考えさせる。なにせ戦時に重なった晩年の作品だから、漢の武帝が命じる理不尽な遠征についてのこの物語には、当時の中島の時代への思いが幾重にも屈折させられて投影されているはずだと思って読んでしまう。武帝崩御したときの李陵と蘇武の対照的な反応は、玉音放送が李陵的自意識と蘇武的人物に与えたインパクトの対照を先取りしているようにも読める。