ボロボロになるまで・・・

Bergson OEuvres

 このGWは、たまっている仕事やら、そろそろ取りかからなければいけないことの準備やら、授業の用意やらに追われている。
 たまっている仕事のうち、テーズを日本語にする作業というのもあって、これはできれば年度末までに終わらせていたかったのだが、最終章と結論がまだ残っている。最終章はベルクソンの章で、フランス語だとA4で56枚。できればこれを日本語で30枚程度にまとめたいのだが、ちょっと難しそう。せいぜい40枚以内には収めたい。
 さて、今日日本語化の作業を進めていたら、ついにŒuvres の背表紙が外れてしまった。モノが壊れたという意味では残念だが、逆に、これはボロボロになるまで読み込んだ証拠なのだ、この本との付き合いもこれくらいになるのだと思うと感慨深い。
 宗教学者というのは案外軽薄なところがあったりするもので、私自身、本のほうが壊れるくらいまで読んだ本というのは、そうはない。Jean-Michel GaillardのJules Ferryや、Jean-Paul Willaime のEurope et religionsも背表紙からページがとれてしまったが、これは熱心に読み込んだからというより、Fayard社の本のつくりが「ちゃち」だからである。使い込んだ末に壊れたのは、高校のときのニューアンカーと大学院のはじめのころに使っていたプチ・ロワイヤルくらいで、これは辞書だからまあ珍しくない。翻訳で使用したMarcel GauchetのReligion dans la démocratieは、ボロボロになったからさすがに2冊目を買ったが、本として壊れているわけではない。
 今のフランスのベルクソン研究のトップ・ランナーはフレデリック・ウォルムスというのは、まず衆目の一致したところであると思うが、さすがに彼が授業で使っていたŒuvresは本が壊れて分解状態にあった。私のŒuvresの背表紙が取れたということは、その意味では名誉なことだが、案外ウォルムス氏の場合は、2冊目、3冊目がすでにそうだということかもしれない。