次女は1歳になりました

 10月10日で、次女は1歳になりました(後日になってからのアップですが、日付は合わせました)。
 次女の命は、冗談抜きで、このブログとミクシイによって救われた部分があります。皆さんに感謝の気持ちを込めて、ちゃんと当日に記事をアップしたかったのですが、なかなかうまく言葉にできなかったところがあります。
 助かって本当によかった、いろいろな人にお世話になった、ありがたい、この先も心配はあるけれど今のところ大丈夫。基本的にはそうなのです。よかったですねと言われて、ええ、と答える自分に嘘はないわけです。
 ですが、こういうやり取りは、あったことを終わったことにしたがる向きがあるような気がします。誤解のないように言っておきますが、よかったですねと声をかけてくれる人に対して、腹のうちではそれは違うなどと思っているわけではけっしてないのです。自分自身のなかでも、終わったことにしたがる心の動きが支配的なのですから、一緒です。一方では、人間の思考回路や人間にとっての過去とは、基本的にそういうものだ、だからそれを認めてよいのだ、そう考える自分がいます。しかし他方では、同じ季節のなかで、一年前の出来事がつぶやいてもいるわけで、そこに「市民権」を与えてやりたい気持ちにもなります。
 しかし、それはすんなり語れない。こんがらがっていてうまく言葉にできないということもありますが、そのとき感じたこと考えたことには、なんか人がびっくりするような、非倫理的なこともあるような気がするのです。たとえば、出生証明書を役所に出しに行ったときのこと。いい天気で、キンモクセイの香りがしていました。その日、娘は生まれた病院からもっと設備が充実した病院に転院することになっていました。役所の人は、おめでとうございますと言ってくれました。私は、ありがとうございますと言いながら、数日後、死亡証明書を発行してもらうことになるのではないかと考えました。そのときの担当者は、この人ではないほうがいいと思いました。しかし同時に、そのときも同じ人だったら、いったいどんな顔をするのか見てみたいとも思いました。その顔が非常に困惑したものだったら、こちらがいたたまれなくなるかもしれない。でも逆に、数日前に自分が出生証明を出しておめでとうと言ったことも忘れて、事務的に処理されてしまったら、私はどうするだろう。胸ぐらをつかんでやろうか、いや、きっとそんな勇気もなく、うなだれるしかないのではないか。
 病院に日参し、好転の兆しが見えず、どんどん弱っていく様子を目の当たりにした後で、病院の外に出ると、外はもうすっかり暗くなり、気温は秋の深まりとともにぐっと低くなっている。そのとき見た夜空。帰り道、国道を車で飛ばしながら、娘が死ぬかもしれないという観念にやられながら、そこに崇高な静寂が広がってきたこと。こうしたことは、文字で伝わるところもあると思うけれど、やはりどうしたって言葉が足りないと思うのです。そうしてまた、こういう状況でこういうことを思う感受性には、なかなか語りえぬ自分自身が投影されているわけで、これを私と同じように他の誰かが感じることは不可能だと思うから、なかなか自分は死ねないな、というようなことも考えるわけです。
 そんなこんなで、なかなか次女の1歳の誕生日の報告ができませんでした。それでも、いろいろな人たち、とくに直接的にお世話になった方々に深く深く感謝していることは間違いありません。今後とも、ご指導ご鞭撻よろしくお願いします。