あとがきのきぃ

 もうすぐ私の単著が出ます。(ウソ)
 少なくとも2010年中には出ます。(ホント)
 夏ぐらいだと思います。(どうかなあ……)

 初校の控え刷は出ていて、この短い春休みのあいだ、直している。編集者の方が結論について、いくつか的確なご指摘をくださっていたので、ずっと直したいと思っていたが、ようやく2、3日前に書きなおすことができた。そこで余勢を駆って、あとがきを書きはじめたのだが、どうにも書けなくなってしまった。
 著書も論文もいろいろだが、あとがきもいろいろだ。研究書のあとがきのマストは、もとになっているものと謝辞だろう。あとはかなり自由度が高い。研究者らしく禁欲的な書きぶりでそっけなくすましているものもあれば、私的なことを記すのは大の苦手でと逃げの一手を打つものもある。意味深なことが暗示されていたり、研究道の遍歴が書いてあったりする。
 私自身、最後のタイプが嫌いではない。それに、最初の本なのだから、強い思い入れや気負いが出てもいい。そう思っているのだが、書いてみると、これは言いすぎだとか、自分で書くことじゃないとか、そんな具合になってきて困っている。
 たぶん、よそ行きを装いつつ、しっかり本音も漏らす、というくらいがちょうどよいはずだ。普段着で街を歩く感じになれればいい。いや、でも私は基本的に服装に無頓着だから、普段着で街を歩くくらいじゃ物足りなくて、街頭演説に立つ、くらいのことはしたいんだよな。
 本音にもいろいろあって、言わないほうがいい(だろうと思われる)本音(私にもそれなりにあると思う)、言っていい本音。この言っていい本音にも、実はいろいろあって、それは私たちの精神生活の色合いが多様なのと同じ程度に多様だろう。
 この2、3日逡巡してわかったこと。語る本音のキーの高さが決まらないと、あとがきは書けない。結論。もう少し書くのを延期します。
 
 なお、この一年で読んだあとがきのなかで、これはすごい、ここまで書くかと思ったのは、堀江さんのもの。

歴史のなかの宗教心理学―その思想形成と布置

歴史のなかの宗教心理学―その思想形成と布置

 私が、研究書のなかのベスト・オブ・あとがきとして思い浮かべるのは、安丸先生の『日本の近代化と民衆思想』。
日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

 あとがきよりも中身のすごさを評価しなければなりませんが。