『政教分離を問いなおす』書評2本

 深沢克己先生による、ルネ・レモン『政教分離を問いなおす――EUムスリムのはざまで』の紹介記事・書評が、『史学雑誌』(第119編第9号、2010年9月)の「新刊紹介」欄に載りました。工藤庸子先生より教えていただきました。

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

 

 最後に付言すべき本書の特徴は、訳者解説がおどろくほど充実している点にある。原著に収録された貴重な参考資料の翻訳につづいて、・・・用語解説と関連年表があり、さらに・・・長文の「訳者解説」が全体をしめくくり、原著翻訳と訳者解説とがほぼ同じ頁数に達している。とくに「さまざまの政教分離――カトリックプロテスタントムスリム」と題された工藤の解説は、アメリカやカナダの事例と比較しながらフランスの政教分離を批判的に論じ、独立した論文として熟読に値する。

 深沢先生が、「歴史家ルネ・レモンの著者が、文学者と宗教学者の手で翻訳されたのは、日本の西洋史家の怠慢を批判されているようなものではないか、と考えるべきかもしれない」とおっしゃるのは、『史学雑誌』に書かれていることですから、日本の西洋史家に向けて発奮を促すメッセージだと思いますが、先生は、「この解説の冒頭に、カトリック教会史に関する『日本語の文献は、いまだ手薄であるように思われる』と指摘されるような現状が、近い将来に克服されることを祈りたい」とも書かれていて、これは、日本の西洋史家のみならず、日本の(フランス系の)宗教(社会)学者も、「怠慢を批判されているようなものではないか」というふうに受け取って、発奮すべきなのかもしれません(私自身も頑張りますとも)。
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 それから、最近知って読んだのですが、7月17日付の『図書新聞』には、菅野賢治先生による『政教分離を問いなおす』の書評が載っています。

 ドレフュス事件後のフランス社会におけるカトリック僧の黒衣と、「9・11」後のフランス社会におけるイスラームのヒジャーブやブルカとが、むろんまったくの別物ながら、歴史的にはパラレルの位相を占め得るのだ、といったたぐいの十分に頭を冷やした相対化の議論が成り立つ余地がいまだあるのかどうか、しばらく注意深く見守っていくほかあるまいが、そのような折、ルネ・レモンによる、どちらかといえば小振りなライシテ論が、工藤庸子、伊達聖伸両氏の周到な解説にがっちりと両脇を固められ、日本語読者のために、議論と研究の頼れるツールとして供されたことは喜ばしい。・・・本書日本語版の隅々にわたって感じられるのは、今回のライシテ議論に限り、いっとき光彩を放っては早々に賞味期限切れとされてしまうがごとき、知的トピックの輸入転売に終わらせたくない、という訳者諸氏の責任感である。・・・
 神道は宗教にして宗教にあらず、という謎深い言説空間のなかで国家としての「近代化」を遂げ、一般に仏教とされているものの内部で儒教的要素の見分けももはやつかなくなっているわれわれが、朝鮮半島、中国、インドシナ半島における「宗教的なるもの」の今日的状況にはまったく無知無関心のまま、新生EUにおけるイスラームの位置、シオニズムユダヤ教の相克、アメリカにおけるキリスト教原理主義の功罪、その他のトピックについて、口角泡を飛ばしながら代理戦争を繰り広げ、それぞれ相手方の不寛容を告発することをもって「国際的」な議論に加わったとの錯覚に酔いしれるような状況になれば、今回のライシテ議論もまた、海外思想事情のお気楽な「覗き見」に終わってしまう危険性も存外に高いのかもしれない。その予防策として、戒めとして、ルネ・レモンによる冷徹なフランス・ライシテ思想史を熟読玩味すべきか、と思う。