ヒトの引っ越し

 4月から職場が東京になるので、引っ越して来ました。ただし、ヒトの引っ越しのみです。
 もともとは、23日から24日にかけて、モノとヒトの移動を同時に済ませる予定でしたが、地震の影響で、引っ越し業者が数日稼働せず、稼働しても燃料調達ができないということで、キャンセルか無期限延期と言われました。別の業者は新規受付お断りの状態なので、無期限延期でも、もとの業者にお願いしようと思っています。燃料や道路の状況は、この何日かで改善されてきたはずですが、引っ越し業者としては、3月11日にさかのぼって延期のお客さんの予約を消化していく恰好になるので、モノの移動はいまだ未定で、4月半ばか後半以降にずれ込む見込みです。
 今の状態ですから、自分が強いられるこの程度の不便は、別に平気だと思っています。ただ、ちょっとこだわっているのは、家賃の二重発生のことです。モノが動かせないので、モノを運び出すまで、旧居の家賃もかかり続けることになります。今回のことは、自分に非があることというより、やむを得ないことだと認識しているので、せめて割り引くなり、どうにか配慮してもらえないものかと思い、不動産会社に問い合わせ、交渉していますが、どうにも固いです。別に悪質とは思っていません。向こうとしては、契約書に基づいて自分たちの権利を正当化しているわけですが、釈然としない部分があります。今回のような事態なので、金銭的な負担が増えるのはある程度仕方ないと思っていますが、できればその出費は、もっとたいへんな状況にある被災者たちの支援に役立つものだという実感が持てるものでありたくて、不動産屋や大家さんを「損させない」ためのものを自分が被ると思うのが嫌なのですね。忙しいところ仕事を増やして申し訳ないと思いつつ、生まれてはじめて、消費者センターにも相談の電話をしました。
 それで改めて思ったのは、普段の日本の生活は、なるべく摩擦が生じにくいようにできているところがあるなあということ。そして、面倒くさがり屋の私は、それに基本的に沿ってしまおうとするところがある。しかし、それで快適かというと、どうやら逆に、有形無形の抑圧を受けてしまうこともある。そんなことを思いました。
 日常の表皮が、多かれ少なかれ剥がれているために、日常生活を支えているものが思わず見えたりもしますが、それがどこまで自分の深いところに届いているかはよくわかりません(そうであったらよいと思うのですが)。
 引っ越しの手続きをするために、数日前、区役所に行き、そのとき仙台の市街地をぐるっと歩いてきました。デパートやバスの停留所に人びとが長い列を作ったり、多くの店がしばらく休業の札を出していたり、あちこちの建物の壁が剥がれ落ちていたりしましたが、少なくとも駅よりも西・北のほうは、普段の機能が麻痺しているというよりかは、60〜70%は動いているように見えました。人びとの様子は外から窺い知るだけですが、明るくもないかわりに沈鬱というのでもなく、じっと耐えながら前を向いている、という印象を私は受けました。
 今回の地震津波、そして原発事故について、私はもっぱら情報の受信者・消費者であって、ときに憤りを感じながら、人並みに不安を抱えて生きていますが、自分のなかには、けっこう東北人のメンタリティがあるんだなあと感じています。これだけだと、抽象的で本質主義的ですが、この二週間は、けっこうそういう自己認識をさせられています。それでいて、仙台や東北に根を張っているかというと、案外そうではない。
 ともかく、私自身の気持ちとしては、地震直後に仙台を脱出するのではなく、しばらく留まって、仙台のライフラインの復旧が進むのを若干は見届け、首都圏もいよいよ大変だぞというタイミングで東京に移ってきたことは、心情的には引け目をあまり感じずにすむ、というところがあります。首都圏への引っ越しは、避難なのか、避難じゃないのか、よくわかりません。
 これは自分を離れた話ですが、そもそも避難とは、字義通りには難を避けるという意味ですが、むしろ別の形の受難かもしれません。このことは今、多くの人びとが、さまざまなレベルで味わっていることだと思います。そしてそのことが、かなりわかりやすい形で見えている時期ではないかと思います。