親類の安否

 雄勝の親戚は、命は助かったとのこと。みな高齢なのだが、急いで家の裏山にのぼり、そこで一夜を明かしたそうだ。家はなにせ、漁船のつけられるコンクリ製の海岸から道を隔てておそらく30メートルほどのところ、すべて流されたと聞く。どんなに残念だろうかと思う。一家の主は、私から見ておばあちゃんの弟で、小さいころの夏休みは毎年遊びに行ったものだ。この家に住んでいたひいおじいちゃんとひいおばあちゃんは、私が3歳のときと5歳のときにそれぞれ亡くなっていて、そのことをかろうじて覚えているので、この家は、私自身の一番古い記憶のひとつと結びついている。これもまだ小学校にあがる前のことだと思うが、魚を釣ったり、ヒトデやホヤを見たりしたのを覚えている。ビールを飲みながらオールスターを見ている親類の大人たちのあいだを、飛び回ったりした。お盆には、親戚じゅうが集まった。大家族の名残がそこにはあった。子どもでは抱えきれないくらい大きなすり鉢で枝豆をすって、ずんだ餅を作るのを手伝った(つもりになって遊んだ)。ご先祖にお供え物をした部屋には、電気の灯篭がくるくる回って、幻想的な雰囲気を醸し出していた。離れの建物にはピアノがあり、親戚のおねえちゃんが「エリーゼのために」を弾いていた。今の現実の前には、生ぬるい回想と思われても仕方ないけれど、私にとって雄勝の親戚の存在は、こういう記憶が軸になっていて、どうしてもそういう観点から相手のことを考える格好になってしまう。子どもの頃の記憶に支配されていて、大人になりきれていないというか。なかなか励ますことのできる言葉が見つからない。「命が助かっただけでも」としか声をかけられないような気がするが、それが言ってあげたいことのすべてではない。