理IIIから宗教学へ

 専修大学で開催された日本フランス語教育学会に前日の懇親会から参加し、今日の午前中の研究発表を聞く。リール時代の懐かしい面々と再会したり、これまではお名前のみ存じあげていた先生方とお話したりする。
 帰りに書泉グランデによって、いったん会計を済ませ、店を出ようとしたとき、新聞・雑誌の棚に目をやると、「理IIIから文学部 宗教学者へ」という文字が飛び込んできた。どこかで聞いた話だと思って手に取ると、5月24日付の東京大学新聞の1面にデカデカと師匠のインタビュー記事が載っている。進振特集号のようで、たしかに先生の「転身」は「ネタ」になる。
 島薗先生の金沢での高校の同級生の娘さんという人から10年以上も前に聞いた話だが、高校の先生方は「うちの高校から理IIIに入った」ということで、当初は「みんな、島薗のようになれ」と言っていたが、学生運動やって宗教学に行ったという話を聞いてからは、「みんな、島薗のようにはなるな」と言うようになったらしい(笑)。
 それはともかく、次のくだりは宗教学のディシプリンのなさ(あるいは希薄さ)に触れている。それが宗教学の強みでも弱みでもあるということは、内部の人はよーくわかっていることだと思うけれど、その意味でのウチとソトの切り分け方でいくなら、外部の人にももう少し知ってもらえるとありがたい。

――理系から進学したことで苦労したことはありましたか。 理科からの進学者だから、ということは特になかったです。宗教学をやっていて大変だったのは、そもそも宗教学は専門がはっきりしないということ。宗教学は何にでも手を出すけれど、「この学者の本は全部読んだ」とか「この語学に絶対的に強い」というような、一つを極める学問ではないので、どうしても素人臭くなってしまうのです。どうすればきちんとした学問になるか、博士課程に行くまでよくわかりませんでした。