鳥をまるごと一匹食べるの巻

焼き鳥文化は深い。

ほっけでも鮭でも、塩焼きを思い浮かべてもらえればわかることだが、背中とおなかでは脂の乗り具合が異なるし、えらのまわりと尾びれの近くでは身の味わいも変わってくる。同じことは鶏肉でも顕著で、普通日本のスーパーで鶏を買う場合も、用途によって「むね」「もも」「ささ身」と選び分けるのは当たり前だし、味の違いはましてや買う前から想像できているものだ。とはいえ、私たち団塊ジュニアにとっては、ささ身が鶏のどの部分を指すのかもわからずに、買っていることも多くある。
今回フランスでまるごと一匹の鳥を食べてみて、初めて日本の焼き鳥の奥の深さを思い知ったのは意外な発見だった。鶏の丸焼き、フランスでは「プーレ・ロチ」と言って、本によれば、フランス人は今でも週に一度は食べるメニューだとか。一家の主が狩をして仕留めた獲物を、丸ごと焼いて家族に振舞うという文化の名残であるらしい。焼いたものを切り分けるのも男性の仕事 。我が家もそれにならって、聖伸さんにサーブをお任せした。「さあ、どうしたものかなあ」と言いながら上手にもも、手羽とナイフを入れていくのを眺めつつ、私は楽してさあ、食事開始。買ってきたものに塩・コショウしてオーブンに入れただけなのに、どうしてこんなにおいしいんだろう、と感心しながら、まずは夢中でももを食した。気分はほとんど餌付けされたライオンの子供、あるいはカニの身を家族みんなが無言でほぐす、あの感じに近い。フランス料理のお店、あるいはクリスマスの時にしか食べたことのない、鶏ももの表面を色よくこんがりと焼いて、身はジューシーな感じ、こんなに簡単に作れるとは思いもよらなかった。次回はバターソースをかけてもいいなあ、と思いつつぺろっと平らげ、さてお次は手羽先。ここではたと気づいたのだが、同じ鶏のももと手羽を同時に食べたことがこれまであっただろうか。食べながら、一気に記憶はフランス料理屋から鳥良へと飛ぶ。ももの骨と比べると、人間で言えば二の腕の骨と指の骨ぐらいの違いがあって、細くて繊細。骨も細ければ身も上品にしなやかに付いている。魚に例えれば、はまちと新鮮な鯛ぐらいの違いがある。手でがつんとかぶりつく。鳥良の甘辛の味付けを思い出して、あれはよくできていたもんだと感心しつつ、気付いたのだが、日本人って、鳥に関しては手羽なら手羽ばかり、皮なら皮ばかり、内臓なら内臓ばかりを同じ串に集めて食べる。焼き鳥ではそれが当たり前になっているけど、実に贅沢な発想だよなあ。鶏って本当に、部位によって全く違うおいしさを楽しめる。そのことに改めて気が付いたのだった。おいしい部位をたくさん食べたいという欲求から焼き鳥が生まれたのかと思う。本当に、もも肉のたくましいおいしさと、むね肉のとろっとした脂身の違い、手羽先の周りの繊細な骨と脂と肉、白くてぱさぱさしたささ身、とよく知っているはずの鶏肉だが、一羽のなかにその違いがすべて含まれていることを改めて知って驚いたのだったのだ。「全体から部分は構成できるけど、部分から全体は構成できない、って感じ?」と知的にまとめて下さったのは聖伸さん。確かに、この経験があれば今後日本のスーパーでささ身を見たときに、鶏の全体像、そしてささ身はどの部分、と思い浮かべることができる。知らなければわからないままだ。マグロのトロって、牛肉のサーロインって、まだわからないが、どのお肉もお魚も、一匹解体して食べるという経験が蓄積されて、現在のスーパーの品揃えがあるわけだ。原体験は重要だ。(ふ)