パリの異次元空間

kiyonobumie2005-07-07

週末、パリまで一泊旅行をしてきた。チェロを借りに行くのがメインの目的だったが、折角パリに出るからというので、少し観光して、彼の友人にも会っていこうという話になった。実は私はパリはほとんど知らなくて、セーヌ川すら見たことがなかった。前の旅行では美術館を急ぎ足で見て回っただけだったので、観光名所らしいところには全く寄ったことがなかったのだ。
さて朝の10時半くらいにTGVでパリに到着。うちのダンナ様は目的地がはっきりしていると、歩くのがとても早い。わき目も振らず、という感じでまっすぐそこに向かうので、寄り道・脱線大魔王の私はうろちょろ、きょろきょろしながら、必死で後についていくという感じになる。初日の目的地は「カルチェラタン」。私がセーヌを見たいと言ったので、2つ手前の「シテ」駅でメトロを降りることにした。
「シテ」駅というのはシテ島の真ん中にあるの?などとフランス語を習いたての大学一年生でも知ってそうなことを聞きつつ、まだ見ぬセーヌ沿い、シテ島のイメージを思い浮かべていた。私のイメージでは、川沿いは一段低く遊歩道のようになっていて、季節の花が咲き、ベンチにはカップルが座り、風景画を描くおじさんがところどころにいて、夏場はサングラスのマダムがパラソルの下で煙草をふかしている感じだ。そして中州のシテ島は見晴らしがよく、緑豊かで、セーヌの流れを両岸に眺めつつ、カフェでビールを一杯、なのかなと思いきや、シテ駅のメトロの階段を登ったら、セーヌのセの字も見えない美しいビル街だった。 
あっれえ、と思いながら彼の後を付いていく。シテ島はパリで一番初めに人が住み着いたところなんだよ、中心から同心円状に拡大したんだ、とダンナ様。歩きながらセーヌのことはすっかり忘れて、建物の美しさ、人の多さを眺めていたら、それは突然目の前に現れたのだった。
ノートルダム!!
教科書で見たことのある建物が、広場の向こうにそびえ立っていた。私はあまりの美しさにただただ驚き圧倒されて、きゃあきゃあと騒いでしまった。ただのみっともないおのぼりさんだ。まず何が美しいって、造形美はもちろんのことながら、アイボリーと言うか乳白色と言うか、微妙な建物の石の色が優しくて、美しい。それに教会のファサードと、正面広場の長方形の向かい合う様が、幾何学天文学的に美しい。太陽と月と天体の運行と、この垂直の平面が、いつも美しい角度をなしているかのようだ。広場は観光客でいっぱいだが、スケールが違いすぎて気にならないこの壮大さ!異次元空間だ。それに造形の一つ一つが繊細で、視力の落ちた私の目でも細かい美しさに惹きつけられて、誘われる感じだ。見ている間にノートルダムと自分だけの世界に入り込むような気になる。私はうっとりして見入っていたが、中に入るのはまたにして、惜しみつつセーヌ川を渡った。
セーヌを渡り、マロニエの街路樹が立ち並ぶサンミッシェル大通りをしばらく歩いていると、目的だった本屋街に着いた。と、また通りの反対側に、異次元世界の建物が並んでいる。何これーとまた叫んでしまう私。そこだけどう見ても、時代が違うのだ。じーっと眺めていると、車も電気もない、産業以前の世界にワープしてしまうような錯覚に陥りそうな、ひっそりとしたたたずまい。彼に尋ねたら、クリュニー修道院だった。今度はノートルダムとは逆に、全てが等身大、というか人間のひそやかな営みを守るだけの大きさの作りで、その規模の小ささがまた異次元だった。なんとなく、丁寧な感じのする建物だと思っていたら、クリュニーは中世の大きな修道院で、芸術を大切にしたところだという。
クリュニーには後で中に入った。その当時の人が見ていたままの風景、を少しだけ想像できるような入り口になっていて、こんな大都市の内部で、中世を味わうことができるのはなんて奥行きが深く豊かなんだろうと思った。
こちらに来てから、日本が好きだ、京都は本当に素晴らしいと言う若夫婦に出会ったが、案外同じような異次元作用が残されているのかもしれない。「観光」も捨てたものじゃないなあと、少し嬉しい気分になった。(ふ)