一次大戦と海とデルヴォー

St Idesbaldの海

知り合いから誘われて、フランスの革命記念日(キャトルズ・ジュイエ)に、ベルギーに連れて行っていただいた。ドライブの第一の目的は、避暑のための別荘として有名なサント・イデスバルドで海とデルヴォー美術館を見ようということだった。この日、フランスでは大都市から小さな田舎町まで、ファンファーレが鳴り、行進が行われたりするのだが、休日だから街の店が閉まるということで不便なこともある。車を出してくださった知り合いというのも、旦那さんはスコットランド人、奥さんは左寄りで、革命祭に義理立てすることもないといったふうだった。
リールとベルギーの街は、歴史的にはフランドル文化圏ということで、例えばフランスの他の街などと比べれば明らかに類似性があるのだが、違った雰囲気も醸し出されている。リールが大都市に成長し、街が古い街壁を壊して発展してきたのに対して、ベルギーには、規模が昔と変わらず街壁がそのまま残っているところが少なくないというのもあるだろう。また、フランスでは犬の糞が放置されるのに対して、北ベルギーでは街が小奇麗に保たれているというのもあるはずだ。それから、リールやその近郊だと、昔の工場跡地だとか、えらくさびれているところや、伝統的な街並みとは必ずしも波長の合わない建物が建ったりしているところがあるのに対して、ベルギーでは大規模な工場が街のなかにあったりはしないで、公共建築物と住宅地が昔ながらのバランスを保とうとしているということもあるかもしれない。
サント・イデスバルドへの通り道、イープルの街に立ち寄った。この街は、第1次世界大戦のとき、ドイツ軍がはじめて毒ガスを使ったことで知られている。イープルをめぐる攻防は3次に渡り、とりわけ英国軍に6万人と言われる夥しい戦死者を出している。市内・市外に英国軍の墓地があって(イングランド人、スコットランド人などはもちろん、カナダ人、オーストラリア人、オセアニアマオリ族などもいる)、遺族の思い入れの強い街となっている。街の門のひとつには英国軍の死者・行方不明者の名が刻まれている。それにしても、ドイツ軍だって少なからぬ死者を出したであろうに、ここでは追悼の対象外となっているわけで、整備された芝が7月の太陽に輝いているのを見ながら、ちょっと立ち止まって考えればすごいことではないかと感慨に誘われる。さらに凄まじい印象を受けたのは、この街はほとんど灰燼と帰したのに、戦後まったく元のように再建されているということである。この街の意志は空恐ろしささえ覚える。しかし別の見方をするなら、日本の都市は第二次世界大戦の前後で様相があまりに一変してしまったわけで、これもこれで恐ろしいことではないだろうか。ともかく、イープルに覚える一種の不気味さは、中世以来の建築様式が、互いに近い時代に再建され、ひしめきあっているということから来るようで、これは現実か非現実かとテーマ・パークに迷い込んだような感覚に襲われる。
現実と非現実の境界と言えば、デルヴォーの絵もそのような境地に誘ってくれるところがある。今回初めて知ったのだが、デルヴォーは生前から非常に認められて、壮年以降は名士的存在となり、精神的・物質的に恵まれた人生を送ったようだ。サント・イデスバルドの美術館も、彼の作品を展示するために、彼じしんの手で開かれている。個展でもある程度は同じことかもしれないが、一人の画家の作品を集中的に見ることの醍醐味は、何と言っても、その画家が一生かかって何か一つのことを追い求めたとしたらそれは何か、あれこれと思い巡らしながらそのコンセプトをつかんでみることだと私は思っている。面白かったのは、初めて彼の最初期の作品を見たが、例えば後期印象派を思わせるような写実的な風景画であっても、すでにあのデルヴォーを思わせるような詩情こそが、作品を成り立たせるものとして君臨しているということである。ではその一とは何なのだろう。そこにすべてが還元されるようなものではなく、むしろそこから無限に豊かなものが流れ出てくるような中心。ある批評家はデルヴォー論のタイトルにrêve réveillé(目覚めた夢)という言葉を選んでいるが、最も的確な把握のあり方のひとつであろう。デルヴォーの絵は幻想的だが、決して外界に目を閉ざした心理的・夢想的なものではない。極めて具体的な外界をよく観察した上で、しかもそちらに従属するのではなく、観察を咀嚼してイメージにまで高め、その効果を実際にキャンバスに実現することで具体的に確かめるという過程。デルヴォーの絵に描かれているのはあくまで「私」の世界なのだが、感覚の条件反射的な再現としての「私」的なものではなく、イメージにまで高められた「私」の世界だからこそ、時空を超えて、太古的でありながら近未来的、懐かしいような異世界のような、夢見ているのに目覚めている、そんな不思議なところに「私たち」を連れてゆくのだろう。
今ここに、目の前に繰り広げられていながら、太古を喚起するもうひとつのもの、有限でありながら無限を喚起してやまないもうひとつのもの、と言えば海で、デルヴォーも美術館を作るに当たって、このサント・イデスバルドの地を選んだのはまさに英断、いうふうに話を海にもっていってはやや強引だろうか。ひっそりとしていた美術館とは対照的に、波打ち際はヴァカンス客でにぎわっていた。個人的に、海は2年ぶりで、三十路を回ってお腹の形がだらしなくなっていないか少々気にしながら、前日買った海パン姿で沖に向かって歩いていった。歩くと言ったのも、こちらの海は遠浅で、海岸から100メートル近く行っても、水は胸の辺りで、泳ぐにはあえて膝を折らなければならない。それより先に行こうとすると、監視員の笛が鳴る。そういうわけで「遊泳」というよりは、まさに「海水浴」で、海水に浸かっていい気分になってきたという格好である。しかし、私も年恰好からして、スポーツマン然として、元気溌剌と泳ぐというのはそろそろ卒業で、静かにいい気分になるという方へずいぶん傾いたものである。子どもの頃は、どうしてこんなに楽しい海で大人というのはあんなに静かにおとなしくしていられるものかと不思議でならなかったものだが。(き)