フランス人的・景色の変化を楽しむ

kiyonobumie2005-07-21

先日、朝からアレンさんの車でベルギーの海岸まで連れて行ってもらった。アレンさんとマルティヌさん夫妻は、以前に少しだけお目にかかったことがあっただけだったが、おおらかなご主人と個性的な奥様(私の好きなタイプ!)で、一目見て惚れていたので、またお目にかかれることが嬉しかった。ところがこの日、数日前からの寝不足(理由はドラクエ3;;;)がたたって、朝から頭がぼんやり、情けない状態だった。ただでさえ私一人フランス語がお豆状態なので、さあ参ったな、と思っていたが、皆さんとても親切で、充実した楽しい一日となった。
フランスからベルギーに入ると、車窓からは見渡す限りのジャガイモ畑や麦畑、酪農地帯などが広がり、ようやく「フランスの田園風景」で想像していた景色にお目にかかることができた。その後イープルの街を歩いて少し休憩し、さらに車で50分ほど北上、目的地の最初デルヴォー美術館のレストランでお昼を取った。ベルギーの街並みもさることながら、ここのお庭の美しさは楽園的で、緑が鮮やかで少し季節が過ぎているとはいえバラが咲き乱れ、直前まで車の中で眠ってしまっていた私の頭も一気に冴えた。よっぽどうつろだったのか、ほとんどワープして急に美しいテラスに飛んできたような気さえして、改めてここがベルギーの避暑地で、知的なフランス人のご夫婦とご一緒している私はなぜ?何者?と身分まで変わってしまったような気になり、普段トゥールコワンの日当たりのいい部屋でのんびり猫暮らしをしている日常から一気に離れた。メニューを見て、あたりを見回しながら、ベルギーに来たらやっぱりフリットフリット!と楽しげなマルティヌさん。フランスの人たちは、休暇の楽しみ方を本当によく知っている気がする。この後は美術館を見て、海岸まで出たのだが、旅行するのに、意味や目的や、見得などではなくて、ああここにいる、それだけでいいんだな、と思わせる何かがあるのだ。美しいテラスで食事をする、砂浜で海を眺める、それだけで。日常を離れ、空間、景色を変えることが精神にもたらす効果をよく知っているのだ。お誘いいただいて、本当にありがたかった。


それはそうと、近所でも面白いことが始まった。「トゥールコワン・プラージュ」といって、運河沿いが砂浜になってしまったのだ。何日かかけて海岸の砂が運び込まれ、パラソルやデッキチェアが置かれ、椰子の木が並べられ、後ろには浜辺のイラストが描かれた幕が広がって、シャワーまで付いて、海岸気分を楽しもうというのだ。これには全く驚いた。何でも、セーヌ河岸で何かの折に始めたのが好評で、フランス全土で流行ってしまったとか。それにしてもお役所側でお金を出してまで擬似海岸を作るというのが、日本人の感覚からすると信じられない。それにここが内陸ならば海までは遠いので、バカンス気分を味わえるだけでも楽しいかもしれないが、トゥールコワンからは車で2,3時間走れば海岸まで辿りつけるのだ。
完成したトゥールコワン・プラージュには子供達がいっぱいだ。ダンナ様がよく、「フランス人は空間を変容させることが好きで、とても上手だ」と言っていたが、少しだけ意味がわかったような気がする。やることが生半可ではない。砂なら砂でちょっとではなく大量に持ってきて、100メートルくらいの河岸を埋め尽くせば、本当に景色が変わるのだ。水着姿の子供達が砂遊びをし、両親がパラソルの下で寝っころがっているのを見れば、やっぱりバカンス気分になるし、運河沿いにいつもとは違った表情が付け加わる。
7月に入ると、「バカンスはどうするの?」が挨拶文句なお国柄なのだ。季節を楽しむ、人生を楽しむことが許されているこの特別な時期に、特に動く予定はない、と言うと信じられない、気の毒といった顔をされる。どこへ行っても、自分は自分。中心が揺るがないからこそ、変化を楽しむことができるのだ。おそらくデルヴォー美術館での私の戸惑いは、体調のほかにも、フランス語で自分自身がしっかりと中心を築けないことにも由来するのだろう。まだ景色の変化に付いていけず、振り回されたような感じになっているかもしれない。
さてこの週末はお引越し。私たちの景色もまた大きく変わる。部屋をどうアレンジしたものか、とそればかり考えているが、これはフランス人的かもしれない。
(ふ)