ボルドー近郊印象スケッチ

pierre blancheが目立つボルドーの街並

ボルドーのあたりに遊びに行ってきた。リールで親しくさせていただいている方が、夏休みの一部を故郷のペサック(ボルドーの隣町)で過ごすというので、双方でうまい具合に都合をつけて、そこに呼んでいただいた格好だ。
ボルドーはちょうど2年前の同じ時期、マドリッドに行く途中、飛行機の乗換えで一瞬降り立ったことがあったが、これでは訪れたとは到底言えない。それでもそのとき感じたこととしては、ピレネーを越えてしまうと大地が本当に茶色になってしまうのに対して、ボルドーのあたりは実に水と緑が多いなということだ。ところがこの緑は、ボルドー市内を車で彷徨っていたのでは、いかんとも見つけがたい。それほど街は石でがっちりと作られていて、緑の空間は建物を抜けた中庭にしつらえられているという寸法だ。
街を形作っている石は、pierre blancheと呼ばれており、このあたりで採れるらしいのだが、実に簡単に削れてしまう材質のようだ。また、すぐに排気ガスなどにやられて黒ずんでしまう素材のようだ。サン・ミシェル教会などいい例で、黒くなった箇所を削って白くしているうちに、一周した頃には最初の部分がもう真っ黒になっているらしい。
ローマ時代から発達していたこの街だが、中世の街はその区画を引き継いだわけではなく、別の地区に建てられたようだ。細い道があちこちに入り組んだ中世以来の区画には、ときどき木組みが石壁に埋もれているような家も目に付く。ガロンヌ川沿いに延々と続く18世紀の建物は、まさにそうした中世の街並みを覆うファサードの役割を果たしている。つまり、当時はパリに次ぐフランスの大都市であったボルドーが、国際港の威信にかけて、川からの外観をよくしたということだ。
ガロンヌ川はつねに泥水を湛えて悠々と流れる。街を少し離れれば、ドルドーニュ川、ジロンド川も見える。実はこの辺はもともと泥の湿地帯で、ローマ時代からの呼称「アキテーヌ」が水を意味する「アクア」を含んでいることにもそれでピンと来る。植林によって土地を乾かすようにしたのは実はかなり最近で、19世紀半ば以来のこと。言われてみれば、整然あるいは雑然としている松林にここそこでぶつかる一方、フランスの他の土地に比べて畜産系の景色に乏しい気がする。この辺りの特産チーズというのもあまり聞いたことがない。
しかし何と言ってもワインがある。松林でなければブドウ畑というのが内陸の景観だ。シャトー巡りはマルゴーとサンテミリオンに行ったと言えば、さぞかし豪勢に聞こえるかもしれないが、そこは貧乏学生の身、一滴も飲んではいない。シャトーは6、7月までの世話と、9月の収穫の時期は大忙しだが、ちょうど今の時期はブドウの成長を見守るだけで、あとは天任せ、特にすることはないようだ。一人も畑で働いている風な人を見かけなかった。同じシャトーでも、マルゴーの方は、他に何もない平地に畑が広がっているのに対して、サンテミリオンはいかにも丘の上にある中世の街といった趣で、観光客で賑わっていた。
街、松林、ブドウ畑と来たら、あと残っているのは海と湖だろうか。実はこの辺の湖、昔は湾だったのが、砂がたまって閉じてしまった、いわば潟の湖で、ただそれが1万年だかも昔のことだから、今は完全に淡水らしい。カルカンの辺りに行ったが、湖でよく見かけるのがヨットなら、海で見るのはサーフィンだ。フランドルの海よりも波の流れに危険なところがあって、実際少し沖のほうに行くと、戻って来れなくなることもあるほどらしい。
ピラの砂丘のことについてもぜひ触れておきたい。標高110メートル、ヨーロッパ最大の砂丘で、海の近くから見上げる景色も、砂丘の頂上から海や松林を見下ろす景色も素晴らしかった。アルカション湾の片端が削られて、もう片端に砂が積もっていくということで、あと5000年か1万年もすれば、この湾も閉じるかもしれないとのこと。

あと今回の旅行のことで書き残したと言えば、ミオスでやったカヌーだろうか。これは家内がかねてからやりたかったスポーツのひとつということだから、ここから先を書くのは任せてしまおうか。カヌー同様、あまりこっちががんばってかきすぎなくても前には進めるようだから。(き)