ペライアとルプーを聴きながらお茶

リールの街中に引っ越してきて、市民図書館も近所になった。本を借りる資格はすぐに作ったが、CDやDVDも借りることができるオプションを今日つけてきた。早速いろいろ借りてきたが、そのなかでMurray PerahiaとRadu Lupuが共演しているモーツアルトの「2台のピアノのためのソナタ」(Sonata, K. 448, for 2 Pianos)とシューベルトの「ファンタジア」(Fantasia, Op. 103, D.940, for Piano duet)をお茶を飲みながら聴く。

Mozart and Schubert: Music for Piano Four Hands

Mozart and Schubert: Music for Piano Four Hands

ふ「嬉しいな、モーツアルトだ」
き「マレイ・ペライアって超有名でしょ、おれだって名前聞いたことがあるくらいだから」
ふ「そうだね、この人は若いときバーっと出て、一時、腱鞘炎だかなんだか指を故障してあんまり弾けない時期があったんだけど、最近また復活して出てきたみたいね。で、(CDのジャケットの写真を示しながら)こっちのひげのおじさんがラドゥー・ルプー。ルーマニア人。私この人すごい好きで。この演奏、いつくらいのものだろう。ルプーは70年代後半から80年代の前半くらいに出てきて、ペライアは80年代の後半あたりに出てきたから、ほらまだ若いでしょ。ルプーがもう有名になってて、ペライアが出てきたばっかりとすると、85年くらいかな。おお、なんだかこの曲はピアノでオケの曲弾いてるみたい」
き「奥行きあるものね。2台のピアノのための、ってあるけど、一台のピアノに2人で座っているのかな。ピアノの音じたいを聴くと一緒のものみたいだし、それに写真でも並んで座っている。写真見ると、ルプーの方が高いほう弾いているのかな」
ふ「そうねー、この曲ではあんまりそれぞれの個性がぶつかってなくて、一体感があるなあ。本来、2人とも抒情派とか言われるけど、違うタイプよね。ルプーはね、出てきた頃、100年に一度のリリシストって言われてた人で。」
き「どう違うわけ?」
ふ「うーん、この演奏だと、2人が寄ってる感じだからわかりにくいかな。2人とも、写真見る限りじゃ外見はもさっとしてるけど(笑)」
き「りりしくなくても、モサイストでなくて、リリシスト(笑)?」
ふ「うーん;;、ルプーの方が即興性があるというか、作曲家の気持ちに寄り添って、その時にしかできない演奏をするっていう感じで、そこが私好きなんだな。生まれたての音楽っていうか。」
き「ルプーに比べて、ペライアは自分に引き付ける感じがするってこと?」
ふ「というわけでもないんだけど。でもペライアは独特の繊細さというか、甘さを持ってて、ふっとピアノになるときなんかドキッとするような傷つきやすい感じがあるよね。あとものすごいいいペライアっていうのはもちろんあるけど、普段からまあまあ安定している感じがあるかな。あ、ペライアねっていう表現の仕方を持ってる。ルプーはどうかな、その時の流れで音楽を操ってる感じがめちゃめちゃいいときもあるけど、このモーツァルトなんか案外淡々と弾いちゃって、その辺の普通のピアニスト、みたいなときもある。なーんか、このモーツアルトは二人の個性があんまりでてなくて、ちょっと無難にまとまりすぎてるかなあ。」
き「2人で弾くから、歩み寄っている、っていうこともあるんじゃないの?」
ふ「そうだろうね。淡々と弾くルプーにペライアが合わせてるというか。でもこれじゃ、どっちかって言うとルプーを聴きに来たっていう人も、どっちかって言うとペライアを聴きに来たっていう人も、期待していたものに出会えなかったっていう感じかも。」
※ ※ ※
――2曲目
ふ「ちょっとまって、このシューベルトペライアじゃないかなあ。ちょっとルプーじゃないでしょ。さっきと上下変わったんじゃないの。うわ。」
き「うん、確かにジャケット見るとペライア&ルプーからルプー&ペライアに変わってる。」
ふ「やっぱり。絶対これ上弾いてるのがペライアだよ。」
き「繊細で優しい感じ?」
ふ「そう。この曲になって2人の違いが出てきたかも。感情的なシューベルトだねえ。ルプーは歌うんだけど拍遅れたりはあんまりしない。ほらメロディーがちょっとためるところで伴奏はわりと理性的でしょ。さっき、2人ともリリシストって言ったけど、それは男のロマンチストの優しさってことね。表現としてはどっちかっていうとフェミナンなんだけど、やっぱりマスキュランなのよ。男性のもっとも優しくて繊細な部分という感じで、マスキュランだけど、決してマッチョじゃない。ルプーは、なんか慈愛に満ちてて見守るような優しさ。客観的なのね。ペライアは、春の野原に生まれたばかりのうさぎちゃんがいて、柔毛に光がさして、そういう優しいもの、震えるものを壊れないように優しく触れる光といった感じ、何て言うか、すごく傷つきやすい感じ…」
……チャンチャーン、チャラ〜ン、チャーン♪(第一主題に戻る)
ふ「うわー、やられる。この間(ま)が何ともいえない、フォルテからふっとピアノに移るところ、すごく感情的だったでしょう。この甘いピアニシモ、ペライアだあ。この感情的にどもった感じにときどきドキッとさせられるのね。これはこの人のもので、他の人には出せないなあ。」
き「壊れそうなのを触るペライアを、ルプーが下でがっちり受けてあげている、ってとこかな、このシューベルトだと。」
ふ「もうちょっとペライアはどもりたいんだろうね。でもルプーのシューベルトはいいのよ。理性的なところがあって。感情的にシューベルトにワーッて入るとちょっと、何て言うの、その、重いわけ。ペライアが光の弱さ明るさで音楽を表現するとしたら、ルプーは空とか風かしら。ある日の夕暮れ時の空だったり、夜明けだったり、嵐だったりするんだけど。」
――すると後半の掛け合いで、ルプーが低音を強く叩いて出てくる。
ふ「うわあ、見守っていたと思ったら、ルプーが出てきたねえ。激しいなあ。攻めてる攻めてる。ペライア必死に堪えようとして頑張っている。ああ、そんなにやっちゃ、かわいそ、だめだって、ペライア強くないんだから。」
――盛り上がりきって、終局へ。……間があって、(ペライアの)チャンチャーン、チャラ〜ン、チャーン♪(再び第一主題に戻る)

ふ「ほら、ペライア、傷ついてる」(笑)

まとまったモーツアルト演奏家それぞれの「らしさ」が出たシューベルト、この2曲をこうしてぶつけてCDにしたのは、企画勝ちか。聞いていてとても面白かったこの一枚、解説のどこを探しても、いつの演奏か書いていなかったが、CDを取り出したら、CDそのものの上に書いてあった。1985年。

ふ「わ、わたしすごくない!85年って言ってたよね!そうかなあって思って、それで合っていることもあるんだって!(注:めったにありません) いやー、音楽に関しては、わたしの感覚もなかなか捨てたもんじゃないなって、ね。」