ライシテについての討論会

ベルナール・スタジー氏

 先週の水曜日、ライシテについての討論会がリール第一大学で行われたので参加してきた。スタジー委員会を主宰したベルナール・スタジー、日本でも訳書が出ているジャックリーヌ・コスタ=ラスクー、ほかにもジャン=ポール・スコットやミシェル・ヴィアネスなど、よく名前を聞く参加者が多かったので、物見見物というつもりでもあった。メンバーの顔ぶれからして、共和主義色が前面に出てくることは、はじめから予想された。ライックなロジックのなかにあえて宗教的な側面を探ろうとしている私のようなスタンスからは、だいぶかけ離れた立場の人たちが多いように思われたが、それを実感するのも経験だと思って出かけてきた。
 ライシテがらみのシンポジウムやイベントは、ここのところ決して少なくないはずである。けれども、主催者は、学生たちの関心は決して高くない、1905年法100周年にちなんだ「祝賀行事」がノール地方では他の地域よりも少ないことが残念だとこぼしていた。コメモラションとかフェスティヴィテとか言う言葉自体が、ある程度立場を物語っているようで興味深い。批判的な見直しが必要だと考えている人たちは、デバ・ピュブリックという言葉を使う傾向にあるようだから。例えば、ジャン・ボベロー(今回の討論会には不参加)は、「祝賀行事」は行われるが、どうも現在のライシテ派はそれをきちんと開かれた「議論」の方向に流すのを好まず、ささっとしまってしまう傾向にあるようだと以前に語っていた。
 ちなみにボベローはそのとき、ライシテについての様々な文献を紹介しながら、ジャン=ポール・スコットの本を「読みたければ読むのは自由ですけど、私はお勧めしませんね」と語っていた。スコットにはアンリ・ペナ=ルイスとの共著もあり、ペナ=ルイスはボベローのテーゼ(「ライシテの第一段階」と「ライックな協約」というコンセプト)に疑問符をつけているので、互いに肌が合わないだろうとは思っていたけれども、そうはっきり言うとは思っていなかったので少々驚いた。ボベローによれば、スコットがやっているようなライシテの単線的な歴史叙述はもう乗り越えられているはずだし、スコットは1905年法前夜のクレマンソーやビュイッソンやジョレスなどを「反教権主義者」としているが、彼らの普遍主義的ユマニストの側面が見えていないようだというのだった。
 そんなわけで、スコットの話のなかに、果たしてボベロー批判のようなことが出るだろうかと思って聞いていた。するとやはり、コンコルダを「ライシテの第一段階」と見るボベローのテーゼに反対していた。コンコルダ体制において、良心の自由と宗教的多元性は確かに実現されているが、この段階でフランス国家は中立的でもライックでもない。よって、コンコルダはライシテの進展を画すものではない、というのだった。共和主義的ライシテにとっては、やはり「分離」がメルクマールだとスコットは考えている。また、「ライックな協約」というコンセプトについても、1905年法はそれには当てはまらないという形で批判していた。教皇庁と交渉されたものではないから「協約」pacteではないというのである。けれども1905年法は戦闘のロジックの法loi de combatではなく、誰もが受け入れることのできる自由主義的なもので、平和のロジックの法loi de pacificationなのだとスコットは考えている。pacteを見ずにpacificationを見る。微妙なところだとも思うのだが…。両概念をもう少しちゃんと突きあわせてもらいたかったところはある。
 生で見たベルナール・スタジーの印象も書いておこう。見た感じは、テレビで見たのと変わらなかった(笑)。青いシャツが好きなのだろうか。いつも青シャツばかり着ているような気がする。「反ヴェール法」とも呼ばれる2004年3月15日法ができることになった委員会のなにせ主宰者なのだから、人によってはあまりいい印象を持っていない人もいるだろうが、私が何となく受けた印象は悪くなかった。ぶれない軸はあるけれど、強硬派ではなく穏健派。ライシテがらみの問題が山積していることはよく見えているが、基本的にはオプティミスト。かっかしている学者たちに囲まれて、彼の政治家としての落ち着きが出てきたように思われた。時間があったのか、自分の出番が終わっても、ずっと最後まで残って議論に付き合っていたのは好印象。休憩中など高校生か大学生1、2年生と思われる参加者と気さくに話し、連絡先を交換しているのなどを見ては、思わず日本にはこういった政治家はなかなかいないよなという方向に考えが行ってしまう。
 ジャックリーヌ・コスタ=ラスクは、静かで穏やかな物腰だった。ミシェル・ヴィアネスは、思っていた以上に共和主義的な立場から、共同体主義批判を展開していた。前段落から一気に話が印象論に流れてしまったが、ご勘弁願いたい。今回の参加者たちの著作は、私のテーズの参考文献にはなかなか挙がってこないが、いずれ読んでいく必要のあるものであろうから、こうして著者の印象をざっとつかめただけでも収穫というものだった。(き)