モンテヴェルディ、聞かずに語る 1

デカルトの大家、ジュヌヴィエーヴ・ロディ=ルイスの著作に、『芸術への眼差し(Regards sur l’Art)』という、芸術とデカルト哲学あるいは彼女の思索をからめた短い論文が集まる一冊がある。目次に並ぶタイトルだけでも、「プラトン、ミューズと美」「デカルトプッサン」「ジョルジュ・ラ・トゥールのマドレーヌ」となかなか興味深いが、その中に「17世紀における音楽と感情―モンテヴェルディデカルト」という20ページほどの小論がある。私の今回のレポートはこの小論を読むことから始まった。

モンテヴェルディデカルト、この二者の組み合わせは少しピンと来ない感じがあるが、モンテヴェルディは1567年生まれ1643年没、デカルトは1596年生まれだから、30年ほどずれて同じ時代を生きていることになる。デカルトは1618年にラテン語で発表した処女作の中で音楽が感情に与える影響について触れたのち、このテーマにはより深い考察が必要だとして、最晩年の「情念論」に至るまで、著作の中で論じることはなかったが、メルセンヌとの有名な往復書簡の中で、たびたび音楽の魅力について答えている箇所がある。なぜ音楽がかくも感情に訴えるのか、というのはデカルトにとって生涯魅了あるテーマだったに違いない。『情念論』も心身二元論の解説からそれぞれの感情の定義や身体との関係性について、一貫した関心で書かれている。二元論を主張したデカルトであるが、愛やその他の究極的な感情、合一感などについては、謎のままに残しているのが興味深い。
今期のムッシュー・シュミットの授業では「16〜17世紀の芸術における感情の表出」に主眼が置かれていて、ラファエロルーベンスデューラー(それこそ猫屋さんが触れていた「メランコリー」)などから始まって、絵画や音楽が、より個々の人間の感情をその主題とし始める様子を辿るものであったが、モンテヴェルディがこの観点とどのように関わってくるのかということは、興味深い内容だった。あまり日本では知られていないが、実はヨーロッパでのモンテヴェルディの評価のされ方は、まさにこの点に主眼が置かれているようなのだ。つまり、ごくルネサンス的な教会音楽、多声音楽からスタートして、時代の流れの中で、マントヴァの宮廷、そしてヴェニスの自由な空気の中で、真理の追求者モンテヴェルディが、初期バロックオペラの完成に至る新しい表現方法をいかに生み出していったか、この歩みはまさに人間が個々の感情や精神と、新しい開かれた価値観を獲得していく過程と同じくする、むしろ未来へと切り開いてゆくものだったのだ。(その2へ続く。ふ)