ブリュージュの風格――世紀末の場合

クノップフ

 ブリュージュに出かけてきた。中世最強と言われたブルゴーニュ家の繁栄の面影をとどめた古都ブリュージュファン・アイクの精緻な技法が何らかの回路を通って細かく編まれたレースに連なっていきそうな街ブリュージュメムリンクの静謐な祈りを、今でもときおり見かけるベギーヌ会の修道女に思わず投影したくなってしまうような街ブリュージュ。近世以後の歴史から取り残され、ローデンバックをして「死都」と呼ばしめたブルージュ
 個人的には4回目で、夏に行ったことも一度あるのだが、残りはいつもこの季節に出かけている。この街はやはり冬の方が似つかわしいように私には感じられるのだが、おそらくそれは冬の曇り空や雨の下でこそ、この古い街のもっている風格が静かに現れてくるからではないだろうか。
教会や家並みが運河に映っているのを眺めていると、地上で形をもっているものの複製が水中に揺らめいて、そこから二重化されたひとつの世界が立ち上がってくるように感じられる。そしてそれを見ていると、今目の前にある街の姿から、かつての街にそのまま入っていけるような錯覚に襲われる。あるいはそれが物語に描かれた街であっても構わない。

死都ブリュージュ (岩波文庫)

死都ブリュージュ (岩波文庫)

ローデンバックの『死都ブリュージュ』は、ユーグ・ヴィアーヌが、妻を亡くした悲しみを慰撫すべく、哀愁の心持にしっくりとくるブリュージュの街に棲家を見出し、そこでひそやかに暮らしていたところ、かつての妻に瓜二つのジャーヌに出会うという設定で物語が進行していくが、この話の舞台がブリュージュであることで筋書きの本当らしさが増している。かつての妻とジャーヌの類似が、街の雰囲気に包まれることで、彼の愛惜を掻き立て、満たされない充実とでもいうべきものが彼を浸してゆく。

ユーグはこう思っていた、類似というものは、なんという不可解な力をもっているのだろう!と。それは人間性の相矛盾する二つの要求、つまり慣習と新奇さに応えるものである。……彼は≪類似の感覚≫と呼びうるようなものを持ちあわせていた。それは補足的な、脆く貧しい感覚だが、幾千もの微細な紐で事物を互いにむすびあわせ、空中に浮遊する蜘蛛の糸で木々を縁組させ、彼の魂と嘆き悲しむ尖塔とのあいだに無形の通信を作り出すものであった。

 もっとも、始終憂愁な調子のこの物語は、悲劇へと緩やかに旋回していく。

二人の女をひとつに融合させようと思ったあまり、二人の類似がすっかり殺がれてしまったのである。二人の女が死の霧をはさんで互いに離れているかぎり、そんな幻想も可能だったのだ。だが、あまりに近づきすぎてしまうと、差異が現れでてきた。

以前、本江邦夫氏の論文で、世紀末絵画について書かれたものを読んだことがあるのだが、それを思い出した。世紀末絵画には、よく似た姉妹や、鏡に接吻している女などが描かれているが、そこに見られる「類似」や「反復」に、存在の確からしさをつかもうという試みと、その試みの不安定さが現れている、といったことが論じられていたのではなかったかと記憶している。写しは本物とされるものの前で本物らしさを獲得するとか、本物に本物であることを証してくれるのは写しであるとか、そんな話も出てきたように思う。とまれ「鏡像の現実性」という問題系に世紀末絵画の本質を見ようというもので、かなり面白い論文だった。

絵画の行方

絵画の行方

世紀末的な鏡像の階梯には、落ち着きや充実も感じられるのだが、わかることとわからないことの連鎖にきりがなくて、空しさの方が勝るように思われる。対象を鏡で増幅させるのではなく、とりあえず限定するところから、ひとつの世界を立ち上げ、それがまた別の広がりを持っていく、という方が個人的には落ち着くのだが。
 フルーニンゲ美術館でも、クノップフの絵を見てから、ペルメークの絵を見るとほっとする。ペルメークを好きだという日本人はそんなに多くないのではないかと思うが、農村的な素朴さ云々というより、「子供のときって大人ってこう見えたよな」というような懐かしさがあって好きなのだ。
 フルーニンゲ美術館といえば、何と言っても、ファン・アイクの『ファン・デル・パーレの聖母』だが、ちょっとこれは言葉にならないので、今回は世紀末的な話だけで勘弁してもらおう。あとは街並みの写真をいくつか。(き)