フランス19世紀中葉の宗教的社会主義

 (ふ)のお母様も無事に帰朝なさり、私たちの長かった冬休みにもそろそろいい加減終止符を打たなければならない今日この頃、どうもなかなかエンジン再始動のきっかけがつかめずにいたのだが、今日何となく最初の感覚があった。
 つまっていたのも理由がないわけではない。これからかかろうとしているのは博論第2章の頭で、1848年の革命前夜どうして一見相反するカトリック陣営と共和主義・民主主義陣営が近づくことになったのか、という自分がこれまでよく知らなかったことを吸収しながら書かなければならないからだ。もとより詳述しようというのではなくて、時代の雰囲気がわかるように描ければ自分としては十分なのだが、そのためには、少なくとも「カトリック社会主義」を含む「宗教的な社会主義」というものについて一応押さえておく必要がある。ところが、これまでどうも「社会主義」なるものにいまいちピンと来なかったのである。
 ひとつには、私の世代の問題もあるのかもしれない。フランスに住む外国人としては、立場的には左寄りのはずなのだが、私自身の経験から、社会主義的な考え方のリアリティーというものを引き出そうとしてきても、正直それに当たるものがない。単なる経験不足・勉強不足なのかもしれないが、それだけでもないだろう。現に、19世紀中葉のフランスの社会主義を知ろうと思って文献を渉猟しても、なかなかこちらの関心に添った形で論じられている最近の本というのは見つけられない。
 そんななかで「おっ」と思ったのが、Jean-Marie Mayeur, Catholicisme social et démocratie chrétienne : Principes romains, expériences françaises, Cerf, 1986.なのだが、本を開いてみるとこれは19世紀末から20世紀にかけての記述がメインで、19世紀中葉の事象にはあまり紙幅が割かれていない。しかし、この本が参照していた文献にJean-Batiste Duroselle, Les débuts du catholicisme social en France jusqu’en 1870, PUF, 1951.という800ページ近い大著があって、これが使えそうだと思う。
 産業革命によって生じた社会問題に直面して、キリスト教のなかの「愛徳」の精神が一部のカトリックを労働者の方に向かわせた。高位聖職者たちも、社会主義の教義そのものを受け入れることはないが、社会問題に取り組んでいるカトリックをその行い自体のために咎めるということは基本的になかった。社会主義的なカトリックは、経済的な自由主義に対して反対という観点から、時の七月王制を問題視していた。一方、反動的なカトリックも七月王制には不満で、自分たちの「教会」をクザンの「ユニヴェルシテ」に対置していた。そのあいだを自由主義的なカトリックが取り持つ格好になっていた。こうして、カトリックと言っても一枚岩ではないのだが、反体制的な側面でそれぞれが合致できる余地があった。
 共和主義・民主主義陣営は、七月王制下のエリート主義に反対、その意味で民衆や労働者に近く、社会主義的要素があった。しかも19世紀前半のフランスでは、社会改良が宗教的な言辞で語られる傾向があったから、非カトリック的な宗教的社会主義カトリック的な社会主義との境界線が実質的に消滅しえた。
 こういう感じでいいのかな、と思っているところ。(き)