米英露仏政治指導者の宗教観――新刊紹介

 前回のエントリーでは、多くのアクセスをいただきまして、ありがとうございます。超マイナー・ブログのつもりでしたから、おそらく一番驚いているのは私(たち)だと思います。張っていただいたリンクを手がかりに辿って、いろいろと秀逸な記事も読むことができましたし、面白そうなサイトやブログも新たに見つけることができました。この場を借りてお礼申し上げます。ネット上の情報収集や情報交換は上手に活用すればかなり有益なものなのだと認識を新たにしましたし、希望や期待をそこには抱くことができるのだと実感することができました。
 その一方で、正直ちょっと困ったことがあったとしたら、さて次の記事は何で書けばよいのだろう(笑)、ということでした(『悲しみよ、こんにちは』でデビューしたサガンが二作目で苦労したことを思えばこんなことは何でもありませんけれども、そのときの気持ちの何千分の一くらいは例えばこんな感じだろうかなどと連想に走ったりしました)。過去ログを見ていただくとわかると思いますが、当ブログは割とのほほんとしていて、(き)と(ふ)がだいたい代わる代わる書いています。そこで本来なら(ふ)の番なのですが、「わたし、フランスのアクチュアリティーなんかじゃ書けないよ」と言うので、トリノの開幕式のパバロッティとかで書けばと勧めたのですが、うーん、うーん、と言い続けているので、(き)が続けて書くことになりました。
 風刺画問題を続けて取り上げることが、もっとも需要に適っているのだろうとは思います。新たな展開を知りたがっている方もおられると想像します。より突っ込んだ分析や考察に期待を寄せて下さっている方も、ひょっとしたらおられるかもしれません。それに自分としても、前回書いたものを今になって読み返すと、そのまま放置するにはかなり不十分なものだと感じています。しかしながら、進行中のこの事件をまた新たに取り上げて叙述するだけの用意がまだ自分のなかでできていないように感じています(情報面でも視点の面でも)。現時点では、自分としては超情報化時代の健忘症になるべくかからないようにしたいと思っている、そしてできればまた何らかの形でこの問題を取り上げて論じ直したいという思いはある、とだけ述べておきます。
 そんなわけで、今回は最近出た面白そうな本を一冊紹介することにします。割と話題になりそうな本です。それに、今回のカリカチュア事件とまったく次元の違う話というわけでもなさそうです。こういうエントリーを一回入れると、次回以降、真面目な方向であれ、軽い方向であれ、差し当たってどっちに転ぶことも許されるような気がします。

□ ブッシュ、ブレア、プーチンシラクの宗教観

Christian ROUDAUT, Alexis DELAHOUSSE, Emmanuel SAINT-MARTIN et Françoise DAUCÉ, Ces croyants qui nous gouvernent : George Bush, Tony Blair, Vladimir Poutine et Jacques Chirac face à Dieu, Payot, 2006. という本が出た(フランス語の紹介文はこちら)。
 原題をそのまま日本語にすれば、『私たちを支配している信仰者たち――神に面したジョージ・ブッシュトニー・ブレア、ウラジミル・プーチン、ジャック・シラク』。米英露仏の現在の政治指導者が、それぞれ宗教といかなる関係を切り結んでいるか、各国での現地調査に基づいてまとめられた共著である(著者のうち3人はジャーナリスト、残りの1人は大学で教鞭を執っている)。
 ブッシュがメソディストで、テレビ伝道師のビリー・グラハムの感化を受け「ボーン・アゲイン」(新生)し、キリスト教右派と蜜月関係にあることは既によく知られている。これに対してブレア、プーチンシラクの宗教観はこれまであまりよく知られてこなかった。本書の第一部では、これら4人の政治指導者がみな「信者」(croyants)であると規定され、それぞれの「精神の歩み」(itinéraire spirituel)が辿られる。
 ブレアはアングリカン。一見その表現の仕方が慎ましやかなものだから、過小評価されがちであるけれども、実は非常に熱心であり、彼の政治的行動も宗教的信念に少なからず支えられているという。プーチンは旧ソ国家保安委員会(KGB)出身で無神論者だったがロシア正教に転じている。これまであまり言及されたことがないが、ロシア大統領とロシア正教会の関係はかなり緊密なのだそうだ。シラクはもともとカトリックディレッタントだが、近年「ライシスム」の方向へと移行。左寄りからは「聖職者嫌い」と思われているが、実際はまったくそうではない、という位置取りだ。
 第二部では、上記のように押えられた経歴が、それぞれの社会の政教風土と絡めて論じられる。例えばフランスでは政治家が自分の信仰を公言することは憚られるが、アメリカではそれが積極的に行われる。4人の政治家はそれぞれ、自らの信仰を打ち出す(あるいは控える)に当たって、それぞれの国の歴史、憲法、社会をかなり意識しており、そのような力学的な関係のなかで行っているのだということが明らかになってくる。興味深いのは、(言われてみれば確かに納得だけれども)そのパフォーマンスが、選挙のときの投票数として跳ね返ってくることで、そのことを4人が4人ともみな意識しているということである。
 2001年の9・11の後、宗教問題は欧米社会の関心の中心にやってきた。そして英米露仏とも「イスラーム原理主義」の台頭に対応を迫られてきた。第三部では、そのような共通の課題を前にしながら、問題への各国の向き合い方がかなり異なっていることが浮き彫りにされてゆく。

□ むすびに

 ……という内容のようです。しまった、本を開かずに語ってしまった!(「ブログの前のよい子のみんなは絶対に真似しないでください」というテロップが流れるところ)むむ、ちゃんと読む時間が欲しい。
 ちなみに私は明日から1週間日本に一時帰国します。こんなのがありまして、私の日本の師匠から手伝いにと呼び寄せられています。宣伝のつもりですが、うーん、こんなことをやっていると第三者にも早晩身元が割れそうですね。帰国中、1回くらい更新できればよいなと思っています。(き)