漠然と、ユマニテを思う

 同じ事件が起こったときの受け取り方の違いは、まあそれはそれは複雑な背景があるのだろうし、貧富の差を含め、色んな社会状況の違いと、教育の違いが大きいのだろうけれど、最近に限らず、あちこちで起こっている物騒な事件を見るにつけて、改めて感じているのは、じゃあ私たちの受け取り方のバックボーンは何だろう、ということだ。人類愛、ユマニテって言ってしまえば簡単な言葉だけど、なんとなくではあっても、このことはとても大きく心の中に位置を占めているような気がするし、それはいつどこからやってきて、自分の中で構成されるに至ったのか、などと。ドゥルーズのヒューム論の中に出てくるとても重要な読み方の一つに、「idée est donnée(考え方やアイディアは、与えられたものだ)」ということがあって、我思う、故に我ありというアイデンティのあり方とは反対に、その思うこと、考えることなど、それらは全て与えられたもので、それ自体には主体性がないという考え方があるが、何か問題が起きているときには、やはりイデーの共有ということがないと、ある程度の解決には至らないんじゃないか、などと。日本にいる間は、資本主義がある程度進んだ末の社会不安、みたいなものがよく見えていて、各自が自分の身を守ることで精一杯、ちょっとユマニテという言葉がそぐわなくなっている感じを受けていたが、改めて学生の平穏な日々に戻ってみて、またフランスという地で、身に受ける印象はおのずと違ってくる。少なくともエトランジェの側としては、フランス側の自由・平等・博愛主義の恩恵を一応のところありがたく受けている訳であるし(要するに観念のレベルで、大多数の各自にその意識があるおかげで、開かれているという印象を受ける。もちろんそうじゃないケースも多々あるのだろうけれど)、資本主義的には日本ほど末期状態に陥っていない、あるいは今後その道を辿るのだろうか、など。政治の話は本当にまだよくわからないが、一つ一つの宣言のインパクトと社会の動きがある程度重なるふうなところを見ると、政治の力が違うということを感じるし。
 というのは、漠然とスピルバーグの新作映画「munich」を見て色々思い、考えがまとまらないままに書いているのだけど、パレスチナイスラエルの対立という根深い問題で、凄惨なシーンが多くあるにも関わらず、スピルバーグの根っこにある「ユマニテ」はやはり私などにとっては馴染み深いもので、その混沌状況を引き受けてまだ人間に対して明るい何か(視点?)を感じて安心するのが自分でも不思議、というか。しかしこれは米国流のユマニテであって案外ヨーロッパのそれとは異なるのではないか、とか。夫が言っていたことで印象的だったのは、「いや、ヨーロッパは宗教戦争で本当にひどいことになったから、それでうんざりして、寛容の原理が育ったんだよ」と。あー、そうなのか!と思った。問題なのはクリスチャニズムとイスラムの(あるいはユダヤも?)根本的な思想的対立、それ自体ではなかったんだ。munichを見て逆に安心したのは、一つはそこにあるかもしれない。実際に衝動的な行為へと移らせるものは、思想的対立ではない、もっと生命や守るべきものを直接脅かすものに対する根源的な恐怖でしかない、つまり、昔から人間が繰り返していることなのであって、戦争が終わるビジョンがないまま戦闘体制に漬かりっぱなしの人々が多くいる、という状況があるだけなのだと。もちろん恐怖を利用する側の人がいるからこそ終わらないのであるが。(そこには思想的な対立があるかもしれず、厄介なのはそっちだろう。)
 とはいえ、「ユマニテ」の原理は常に戦争と不可分であった、のなら、私が今はユマニテうんぬんという時代ではなさそうだ、と思うとき、それはもっと個々の生存が、精神的な基盤みたいなものが揺らいでるのを感じるからであって、それは戦争よりも社会システムと関わる。おそらくドゥルーズが70年代に見越していたのはそちらの方であって、寛容さの先に、主体性の構築が不可欠になる不安な時代が来る、と読んでいたからだろう。政治・宗教よりも、経済面での難しさはさらに上かもしれないし。うーん、戦争と不可分のユマニテに頼れないなら、若者の希望はどこにある?(ふ)