ラファエロとアンドレア・デル・サルト

 リールにも春の日差しが感じられるようになってきた。気温はまだそれほど高くはなく、2、3日前など小雪もぱらついたが、日は着実に長くなっている。日中、晴れているときには、あの雄大なフランドルの雲が、澄んだ水色の空を背景にゆっくりと空を渡って行くのが見られる。
 近所のボザールが毎月第一日曜日は無料で開放されているので、出かけてきた。お目当ては、ちょうど今日まで展示されることになっているラファエロのデッサンである。今から500年前に紙に書かれたデッサンのため、公開の期間も限定せざるをえないのだという。
ルネサンスの部屋の一角に、ラファエロのデッサンを2点と、アンドレア・デル・サルトのデッサンおよび油絵が1点ずつ(油絵はデル・サルトによる、と言われているものの複製)が設えられた、極めて小規模のものだったが、フィレンツェルネサンスからマニエリスムへの流れがわかるように展示されていた。
 ラファエロは1504年から1508年にフィレンツェに滞在した際、聖母マリア、イエス、聖ヨハネのモチーフを熱心に研究したようだ。デッサンにはさらに洗礼者ヨハネと天使が描きこまれているのだが、このデッサンをもとにした油絵「テラノーヴァの聖母」(ベルリンのスタートリッヒ美術館に収蔵)では洗礼者ヨハネと天使は画面から取り除かれている。解説によると、それによって理想的な画面構成がなされているのだという。
 ラファエロにおいてはこの3者の配置がかっちりと決まっているのだが、アンドレア・デル・サルトになると、そこに動きが出てくる。いわゆるマニエリスムの到来である。私は、マニエリスムの時代の絵を見ると、あれだけ偉大なルネサンスの時代の後にどうしてこんなにアンバランスなものが人びとに受け入れられたのか、しばしば理解に苦しむことがある。顔や手が貧相で生気を欠いているものだから、人物のポーズや画面の構成で動きを表現しようとしても、何かが決定的に止まっていると思ってしまう。けれども、今日見たデル・サルトによると伝えられている油絵は、しっかりとした構成のなかに動きが見られ、そのバランスが精妙で、なかなかいい作品だと思った。
 美術館を後にして街を歩いていると、心なしか街を行く人の足取りに春の陽気が加わっているように感じられた。たまたま知り合いとばったり会ったのだが、その人の名前がラファエルで、話しているときは気づかなかったのだが、偶然の一致に愉快になったりもした。このように心が動くのも、春のなせる技だろうか。
 春といえば、ラファエロほど春を思わせる芸術家はいない。その伸びやかさと健やかさ、翳りを知らない崇高さ。若きリルケは、精神的な恋人ルー・アンドレアス・サロメに書き送った書簡『フィレンツェだより』のなかで、私たちはもはやラファエロルネサンスの時代にはいることはできないが、その時代を生きた人びとのような若さを取り戻す必要があるのだと述べている。

われわれにはもはや、花咲く芸術を実現することはできない。……われわれはもはや、無邪気ではない。しかしわれわれは、その心情においてプリミティヴであった人びとの傍らで働き始めることができるように、プリミティヴの人になるべく努力しなければならぬ。われわれは、春の人間にならなければならぬ。」(リルケフィレンツェだより』森有正訳)

 そしてリルケは、われわれはラファエロの遺産を引き継ぐべく必然にしたがって招かれた遠い後継者なのだと続ける。
 春の心境で常に生きることのできる人など、そうざらにはいないだろうが、それでも光と希望に満ちたヴィジョンを取り戻しながら何度でも再出発するのは欠かせない。フランスにはいわゆる「春一番」はないようなのだが、これからの季節、なんとか追い風を受けたいものである。(き)