復活祭とGWのあいだで

ソルボンヌ前の憲兵隊

 先週は1泊2日でパリに出かけてきた。日本の研究グループのプロジェクトで、世界の中等教育の教科書のなかで宗教がどのように扱われているかを調べるというのがあるのだが、その現物を仕入れるのが第一の目的。第二の目的は、ソルボンヌの先生から書類にサインをしてもらうことだった。
 よくパリの西の方に住んでいる友人のところに泊めてもらうのだが、今回は南のシテ・ユニヴェルシテールの近くの寮にいる友人のところに泊めてもらった(彼の競馬ブログはこちら)。
 教科書は歴史・地理・公民と合わせて15冊ほど買ったが、予想通りかなり重いものに。小柄とはいえ日本との往復ができるくらいのスーツケースで出かけていったが、それでちょうどよかった。フランスの教科書は、できる仕組みや用いられ方が日本のとはかなり違っている。日本だと文科省の方針に沿いつつ教科書が作られそれが「検定」される。その上で、地域の教育委員会が使用する教科書を採択し、現場の教師は学習指導要領に沿って教科書を進めていく。フランスの場合は、教育省はプログラムを発するが、各教科書会社はそれを自由に「解釈」して教科書を作成する。ひとつの学校のなかで教師によって違った教科書が用いられることは実際には少ないはずだが、教科書を選ぶのは原則的には教師である。しかも教師は授業を必ずしもその教科書に沿って進めるわけではない。どちらがよい、どちらが悪いの問題ではないし、相手のいいところを取り入れようとしても一朝一夕にはできないだろうが、いかにも両国の「らしさ」が出ているようで面白い。
 日本でもそうだと思うが、フランスの教科書会社間の競争は激しいらしく、各社ともレイアウトを上手に仕上げて魅力的なものにしようとしている。このへんはフランス人らしいセンスが出ていて、教科書をめくるだけでも楽しかったりする。時折自分のフランス語が怪しく思えてくることがあるので、中学生の教科書で基礎を復習しようかな、などと本をめくりながら漠然と思うのだが、あまり実行しそうにない自分を感じる。
 先生からのサインは、授業の後にいただくことになっていた。ただ、ソルボンヌはちょうどその日から封鎖が解かれ再び開かれるというときに、ド・ヴィルパン首相がやってくるというので、実際には授業が本当にできるのか、事前にはよくわからない状況だった。ソルボンヌ前の広場には憲兵隊が物々しく立ち並び、入り口では荷物の中身を検められた(私のがスーツケースだったということもあるが)。授業はとりあえず10分遅れで始まったが、30分ほどして外からノックがあり「今から閉鎖するので授業を中止してくださいとのことです」との声が。先生も、まったくやってられないよ、という表情。ひとつ傑作だったのは、ちょうど先生がストライキの権利を与える1864年法と1884年の組合法を対照させて、「フランスは奇妙な国で、この場合まず権利を与えておいて、そのときにはどうやって交渉するかは決めないで、処理の仕方は後から調整する」と話していたときにノックがあったことだ。後からそのことを言ったら、先生も笑って「イリュストラシオン!」とおっしゃった。私はそれにすぐには反応できなかったのだが(そんなわけで私のフランス語力も実に大したことがない)、ちょっとたって、ああ実例ってことかと思い至った。
 サインはカフェでいただいたのだが、その後、論文指導になった。お渡ししていたテキストを読んでいてくださったのはありがたかったが、先生、そ、その用意はこちらにはできてなかったんですけど、と内心思いながら、批判に耳を傾ける。「私が言っているのはクリティック・ポジティヴだから」と励まして下さったが、それでもシュンとしますって。そのときには有効な反論ができなかったような気がしたので、お礼と反論と今後の計画について手紙を書こうと思いながら、気が進まず、3日目にようやく書き上げた。
 ここ2週間ほどはテーズ・モードから離れている。朝は起きられず、夜は寝つけず、調子も上がらず、なんか頭の芯がしびれているような気がする。こういうときは、頭の芯がしびれていることなら5年くらいずっとそうだ、などと思ってしまうからいけない。とはいえ、テーズと並行させていた共訳については、とりあえず最初の稿を担当者にお送りすることができ、ここからまた大変な作業が待っているとはいえ、とりあえず一段落。他にも、ちょこちょこと調整に動き回っており、気を揉んだりはしてしまうものの、まあ順調に運んでいると言ってよい。なかなかやる気は出ないのだが、とりあえずフランスでは復活祭休暇終盤、日本ではゴールデン・ウィークの序盤ということで、ちょっと快復するまでうだうださせてもらうとするか。(き)