長女誕生

Masae110606

 本日2006年6月11日12時50分(日本時間19時50分)、リールのジャンヌ・ド・フランドル病院で、私たちの長女が誕生しました。身長47センチ、体重2950グラム、元気な女の子で、母子ともに健康です。

 このブログでは(ふ)の妊娠について触れていませんでしたが、今日がちょうど予定日だったのです。お尻を下にしたまま(いわゆる逆子)で、早産の心配はあったのですが、心配事と言えばそのくらいのもので、いたって順調に育ってきました。先月末に陣痛が2、3日続き、これはそろそろかもと思い、(ふ)の実家からお母様がいらしたのですが、その後めっきり落ち着いてしまい、「安定期」などと冗談めかしておりました。
 これじゃ、あと一週間くらいかかるかもと話しながら、今日も朝起きた感じでは「生まれなさそう」とのこと。しかしながら、今日は予定日ということで、検査のために病院に出向く必要があったのです。今日はないだろうと思い、私は家で仕事をすることに。そういうわけで(ふ)はお母様と2人で出かけましたが、まだだと確認して帰ってくるものとばかり思っていたら、11時半ごろお母様から「今から帝王切開ですって」との電話。5月の検診では、頭が上でも自然分娩で産道を通れるだろうと言われていたのだけれども、今日超音波検診してみたら頭が大きくなっており、また羊水も少なくなってきており、今すぐ取り出すのがいいとの医者の判断。(ふ)も私も、できれば赤ちゃんが自分の生まれたいときに自分の力で出てくるのが理想と思いながら、帝王切開になる確率も高いだろうなとうすうす予感していたところ。しかし今すぐこれからとは。心の準備が。あたふた。
 このジャンヌ・ド・フランドルという病院は、フランス全国でも評判が高く、「近代的」ということにかけては、設備から技術からスタッフから申し分ありません。また、明るい雰囲気で、フランス人らしい心の配慮も行き届いています。それでもそこは「近代的な病院」、「本当を言えば自然に生まれるのがいいと思うんですけど」と言っても、私たちのようなケースでは「いや、それでもこういうリスクが」という答えが返ってくるばかり。もちろんそうなんでしょうし、不満というわけではないのですけれども。
 病院に着いたら、(ふ)が手術される格好になっていて、あれよという間に手術室へ。1人だけ隣で待てるというので、私がその脇の部屋に入りました。10分も待たなかったでしょうか、看護婦さんが「おめでとうございます」と言って、赤ちゃんに会わせてくれました。

 血まみれだった体を綺麗にふき取られたばかりといった状態で、3、4人の看護婦さんに世話をされながら、ぎゃんぎゃん大きな声で泣いておりました。足を曲げていたためでしょう、足のつけ根が白くなっているのが、お尻や腿の一帯の赤黒さとの対照でいっそう目立ちました。手と足の先が羊水でふやけていました。顔は生まれたばかりだと猿みたいというのが一般的だったりしますから、どんなものかと思っていたのですが、自分(たち)の子だからかわいく見えるというのもあるのでしょうか、最初からこれだけきちんとした顔なのかと驚いたくらいです。
 生まれた日からこんなに表情が豊かなものでしょうか。笑っているように見えたり、難しそうな顔をしたり、甘えるように泣いてみたり、鬼気迫る勢いでおっぱいにしゃぶりついたり。あくびもくしゃみもしていました。(き)と(ふ)の両方に似ているし、(き)の度合いが勝ることも、(ふ)に近くなることもあります。もちろんガッツ石松みたいに見えたりもしますけど(笑)。
 ピカソが自分の娘を書いた絵で、例の平面分割を用いて一枚の絵に少女の多様な表情を盛り込んだのがあります。数年前テレビを何気なくつけていたら、その彼女がインタビューに答えていたのですが、ピカソが40年ほど前に多様な子どもの表情においてとらえたまさにその人だとすぐにわかり、話す様子が、その都度ピカソの絵を呼び起こすようで、強く印象づけられたことがあります。娘の顔を見ながら、この子の何十年後かがすでにこうしてはじまっているのだと思いました。
 はじまっていると言えば、おなかのなかでもすでにはじまっていたのです。おなか越しに感じていたキックを、今はこうしてじかに受けているにすぎないと言うこともできます。この子の内発的な動きがここまで来た。さらにここから育っていく。できるようになったことの繰り返しからある日突然できなかったことができるようになる。こうして全体から全体へと進んでいく。生きるのに本質的なことはここにあるように思います。
 武満徹は親友に子どもが生まれたときに、誰かの言葉を引用しています。「子どもはあなたたちを通してくるのであって、あなたたちから来るのではない」というもので、確か『音、沈黙と測りあえるほどに』のなかに出ています。親としてどうなのかわかりませんが、今の私の感じでは、俺が育ててやるという感じよりも、ちゃんと社会のなかでいい影響を受けてみんなに育ててほしいと願う気持ちです。

 日本では命名まで1週間ほど間があると思いますが、フランスでは3日以内に申告をしなければいけません。お医者さんや看護婦さんからは、生まれる前から「どんな名前なの?」と聞かれます。2回目の超音波検診で女の子だろうと言われたので、9割9分は女の子で考えていました。
 最初からこれしかないと決めていたわけではありませんが、「雅」という字を使おうという案ははじめから有力でした。(き)も(ふ)も、漢字の面構えが、出家とは言わないまでも、浮世の外にある感じがしないでもありません。「雅」という字には、この世を超えるような美を知りながら、この世を美しく生きるという感じがします(「政」ではさすがにちょっとというのもありました)。私の精神上の師に「雅」という漢字があったこともあります。「雅子」「雅美」「雅代」などありましたが、画数なども一応気にして、「雅恵」になりました。最初は、「マサエとカタカナで書くおばあちゃんのようだ」と言っていた(ふ)も、長女らしくていいかもしれないとなってきました。フランス語の語感的にどうだろうかと何人かのフランス人に聞いてみましたが、問題ない、いい名前だと思うという答えがかえってきたので、じゃあ予定通り女の子が生まれてきたら「雅恵」にしようということになりました。最近では「陽菜ちゃん」とか「凛ちゃん」とか「彩香ちゃん」とか現代的な名前が流行っているようですが、古風な名前になりました。フランスだと、あんまり古い名前をつけると笑われるようですが(今生まれてくる子にMarcelや Guy(男の子の場合)とか、HenrietteやOdette(女の子の場合)と名づけることは常識的な親ならまず考えなれないらしい。何十年後かにリヴァイヴァルがあるかもしれないけれども) 、そこまで古くはないでしょう。
 今日は、数日来の快晴が程よく暑く、美しく、雲ひとつない空がいつにも増して高く見える日でありました。(き)

 PS1.長女誕生につき、(ふ)の裏ブログninpumichan解禁です。
 PS2.ウィキベディアで6月11日生まれの有名人を探してみました。結構すごい人がいます。イギリスの画家コンスタブル、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス沢口靖子も6月11日生まれです。フランスでは、レーシング・ドライバーのジャン・アレジ、左翼運動家ジョゼ・ボベなど。