まあちゃんと私、無事退院

kiyonobumie2006-06-20

先週末、ジャンヌ・ド・フランドル病院から、雅恵ちゃん(まあちゃん)と一緒に、無事におうちに帰ってきました。前回のエントリーでは、たくさんのメッセージを頂いて、ありがとうございました。
昔からお天気には比較的恵まれる方ですが、まあちゃんが生まれた6月11日も、まあちゃんと初めて病院の外に出た、退院日の17日も、リールは本当に雲ひとつない晴天でした。病院の外にはいつのまにかバラ園が作られていて、まあちゃんは母の友人に縫っていただいた白いドレスを着て、母がこっちに来てから急いで作った白い帽子をかぶり、炎天下の中、みんなでバラ園の中で記念撮影の間も、真っ赤なポロシャツを着たPHさんの車でおうちに向かう道中も、それこそ爆睡状態で(笑)、初めて病院からお外に出たのでした。
それこそ晴天の霹靂、という感じで突然の帝王切開になってしまったのですが、ある程度は覚悟をしていたのもあり、またいつも周囲を待たせてやきもきさせる私のこと、あれよという間に優秀そうな鼻歌交じりの病院スタッフに囲まれて、赤ちゃんをあっという間に取り出してもらえたのは、かえって良かったのかもしれないなと今では思っています。
急に帝王切開が決まってパニック状態の私にとって一番困ったのは、病院スタッフが親切で、「子供は何て名前?」「その名前はどういう意味?」などとひっきりなしに尋ねてくることで、大体混乱状態の時は普通でも覚束ないフランス語がますます出てこなくなる上、「雅恵」の名前の意味をフランス語で何て説明するか、など、まだ考えてもなかったので、話にも素早い進行にもついていけないままで、あれよあれよという間に手術室に運ばれてしまったのでした。こちらは麻酔を打たれ赤ちゃんを取り出される心の準備で一杯一杯なのに、これでは参るから、とりあえず自分はまだ心の準備が出来てなくて、フランス語ある程度は分かる(?)けど今は(本当はいつも)上手に喋れない!と現状の説明だけしよう、と思い、その後は手術室で対面する人する人に、「これは私にとって初めてのことで、少し恐い、すみません、だからフランス語で上手く話せない、待って下さい、ゆっくり、ゆっくり」と同じことを繰り返し言ってまわったのは、我ながら思い出すと恥ずかしいし、向こうからすればおかしかったと思います。それにしてもあっという間の出来事でした。

まあちゃんの体調も私の術後の経過も至って順調で、7日間の入院の間、最初の数日はひっきりなしに通ってくれていた病院のスタッフ、それこそ産婦人科医から小児科医、看護婦さんたちも、退院前の2日ほどはめっきり部屋を訪れる頻度が減って、少しずつまあちゃんと私だけ、まあちゃんと母と夫と私だけ、という家族だけの密な時間が増えていきました。夫も母も本当によく面倒を見てくれるので、私はありがたく授乳と休養に専念させてもらっています。最初は出なくて泣きたい気持ちで搾り出していた母乳も、無事に流れ出るほどになり、それこそ母親の特権で、毎日の赤ちゃんの様々な表情を、肌身離さず見守る日々です。母と娘、裸の付き合いは、何ていうか、私も母にこうして見てもらったんだなあと、感慨深いものがあります。おうちに帰ってきて早くも4日目、最初の夜は泣いて泣いて大変だったまあちゃんも、昨晩・今日はとても落ち着いて、天使の寝顔です。
取り急ぎ、退院報告まで。(ふ)
P.S. まあちゃんの毎日は「しょちゅう玉玉」で公開中です。