フランスにおける宗教学の制度化

 半年ほど前のエントリーで、博士論文の第1章をとりあえず仕上げたというのを書いたが、それから2章、3章と書きついで、4章をとばして、5章を書いたところだ。
 コントにおいて実証的な宗教研究と実証主義的道徳の構築の関心(平たく言うと科学と政治の関係)が分離しつつもゆるやかに連動していたとすると(第1章)、ルナンにおいては宗教史と政治的発言はまったく別の秩序に属し、むしろ矛盾するものととらえられている(第2章)。この移行のなかで、宗教から独立した道徳は国民形成にかかわるものとして政治の領域で鋳造され、神学とは一線を画す科学的研究としての宗教学がアカデミズムの領域で形成される。第3章と第4章で「ライックな道徳」を扱うとすると(第3章ではフェリー、ビュイッソンら政治家の言動を分析し、第4章では実際の道徳教育の現場に注目する)、第5章と第6章は「宗教学」の制度化と発展を扱うものだ。第5章では「制度化」に焦点を当てている。
 フランスでは1830年代に宗教研究がひとつの「活況」を呈するのだが*1、「宗教学」が近代的学問として「制度化」されるのは1880年前後を待たなければならない。この間、科学的宗教研究の「脱政治化」が起こり、文献学や歴史資料に則ることを必須とする「科学的要請」が生まれてくる。そのため、19世紀前半に「科学的」と思われていた宗教研究が、後半になると「科学的」とは見なされなくなってくる。それどころか、19世紀後半のフランスの宗教学者たち(その多くはプロテスタント)は、フランスには宗教学がないと嘆いて、ドイツやオランダの宗教学をいわば輸入することになる。
 ところで、この「宗教学」だが、フランス語ではsciences religieuses, histoire des religionsの2つが「制度化」以来、最も一般的な通称になっている。この呼称自体を19世紀フランスの歴史的文脈に置き直して分析すると、宗教学の構築が「政治」的コノテーションを帯びていたことや、「方法論」的な特質が見えてくる。
 まず、sciences religieusesだが、19世紀の感受性にとっては「科学」と「宗教」は敵対するものであり、この2つの語の結びつきに対して世人は首を傾げるようなものだった。ただ、この2つの語を最初に結びつけたのは、実は宗教を科学的に研究しようとしていた者ではなく、カトリックの側だった。ただしその場合、sciences religieusesというのは、sciences sacréesという神学校で教えられていた科目の総称を別の言い方で述べたものにすぎなかった。1852年にプロスペル・ルブランという神父がscience des religionsという言葉を使ったときもそのような意味であった。ところがその12年後、エミール・ビュルヌフが同じ語を使ったときには、ルブランに対するレフェランスはない。ここではscienceの意味が転倒しており、神の偉大さを称えるものではなく、観察された事実に基づくものになっている。
 一方、histoire des religionsという言葉にも、当時のパラダイムが映し出されている。19世紀の知的文脈においては、宗教史は人類の精神史といった重みを担っていたのだが、世紀の半ば以降は文献学と歴史資料が必須となり、「歴史の哲学」と「科学的な歴史」のあいだに切れ目が入り、やがて制度化されることとなる「宗教史」は、後者の意味で科学的であろうとしたのだった。それと同時に、「宗教史」は、自律・独立した学問ディシプリンとして自らを形成すべく、神話学や文献学、民族学などの周辺学問からの差異を打ち出した。
 フランスでこのような「宗教学」あるいは「宗教史」を打ち立てるのに最も大きな役割を演じた宗教学者は、モーリス・ヴェルヌとアルベール・レヴィユであった。2人とも自由主義的なプロテスタントの出身で、牧師の職を離れる形で宗教学者になっている。2人とも宗教学の制度化を実現すべく、政治家に働きかけるなど、互いに協力したが、歴史観をめぐっては見解が異なっており、やがて大きな論争に発展する。ヴェルヌの主張する歴史は、史料に厳格に基づくもので、いわゆる一般史を警戒する。これに対してレヴィユの宗教史は、宗教の一般史を目指すもので、それはティーレ流の宗教進化論に基づいている。
 ここで考えるべきなのは、ライックな道徳を導入した脱宗教的な政治体制の下で制度化された宗教学が、その政治体制の推奨する道徳を宗教の観点から扱うという批判的な視点を欠いていたのではないかということである。時の政治体制は「宗教」と「道徳」を分離しようとしていたわけだが、研究者たちもある意味その図式を受け入れていたのではないか。例えば、ヴェルヌの宗教史においては道徳の問題はほとんど扱われていない。一方、レヴィユの宗教史においては宗教史が割りと単純に道徳の発展史として描かれている。つまり、未開宗教は非道徳的なもので、キリスト教によって宗教は道徳的となったが、近代になって道徳と宗教の結びつきが問題を生むようになってきたために、両者は次第に分離されるようになってきている、ただし個人の領域での宗教の大切さは残る、というような歴史観である。
 こうして見ると、世紀末のデュルケム学派のインパクトは、やはり大きい(高等研究院の第5部門(宗教学)にはユベールとモースが送り込まれている)。未開社会は非道徳的だと思われていた時代に、未開社会の道徳はその社会においてまったく道徳的であると言ったのは、かなりセンセーショナルなことだっただろう。それまで進化主義的な観点から描かれていた「宗教と道徳の歴史的変遷」が相対化され、ある意味「宗教と道徳を並行的にとらえる視点」が生まれ、この視点から同時代の道徳の宗教性が問題化されてくる。
 ……というわけで、ここから先は第6章の課題です。以上の5章のまとめ、フランス語で60ページを超えたのをさっとまとめたものなので、もっと突っ込んだ興味をお持ちの方には物足りなく、また単純化しすぎと見えるかもしれませんけど。この章を書くのに最も参考となったのは以下の文献です。日本の宗教学の地勢図では、あまり知られていない印象ですが、非常によい論文・書籍だと思います。さて、6章は論文全体のなかの最難関のひとつ、デュルケムとベルクソンです……。(き)

  • Patrick Cabanel, « L’institutionnalisation des « sciences religieuses » en France (1879-1908) : Une entreprise protestante ? », Bulletin de la Société de l’Histoire du Protestantisme Français, t. CXL, 1994.
  • François Laplanche, « Philologie et histoire des religions en France au XIXe siècle », in Jean Baubérot (et. al.), Cent ans de sciences religieuses en France, Paris, Cerf, 1987.
  • Émile Poulat, Liberté, laïcité : La guerre des deux France et le principe de la modernité, Paris, Cerf / Cujas, 1987. (notamment Chap. XI. « L’institution des « sciences religieuses », pp.285-334.)
  • Ivan Strenski,"The ironies of Fin-de-Siècle Rebellions against Historicism et Empiricism in the École Pratique des Hautes Études, Fifth Section", in Arie. L. Molendijk and Peter Pels (eds.), Religion in the Making : The Emergence of the Sciences of Religion, Leiden / Boston / Köln, Brill, 1998.

*1:18世紀末以来新しい資料が発見され、文献学が発展し、ロマン主義的な感受性が「異教」的なものを価値化し、空間的・時間的に拡がり多様化したものに統一を与える「歴史」が生まれてくるなど、そこには様々な要因がある。この点は何といってもMichel Despland, L'émergence des sciences de la religion, Paris, L'Harmattan, 1999.が様々な角度から論じている。