ロラン・ファビウス、ライシテ憲章採択を推奨

Laurent Fabius

 こんなタイトルがル・モンドに踊っていたので、えっと思った。読んでみると、こうした憲章がもう採択されていてそれを称えているとかいう話ではなくて、もし大統領に選出されたら、という仮定の話。
 社会党の党内選挙を前に、やや旗色が悪く見えるロラン・ファビウスだが、セゴレーヌ・ロワイヤルの立場を「分権化のブレア主義」と呼び、ドミニク・ストロス=カーンの唱える「社会民主主義」に対して、「私はただ単に社会主義者ですよ」とインタビューに答えている。
 そうすると、あなたは前に進んでいない社会主義の番人というふうに思われてしまいませんか、という問いを受けて、ファビウスが答えているのが次のようなものである。

 問題のすべては、社会主義の近代化を行うのか、それとも、リベラルでさらには右寄りの社会的近代化をするのか、ということですよ。エネルギーのことで何が起こったかご覧なさい。電気の故障がヨーロッパの複数の国に及びましたよね。主要な原因は、企業がしっかりやらなかったからです。企業は半ば身を焦がすようにして、すっかり市場の要請に屈しています。私たちをここに連れていこうとするのが、「近代主義者」という人たちなのですよ! それに対し、私の立場は、もうひとつの近代性を目指すものです。ある近代化は、つねに、別の近代化を隠してしまうものなのです。
 別の例を挙げましょう。ライシテの話です。この価値は「今風じゃない」と言われますが、実は逆で、戦争というものは、不幸にも世界でたくさんあるけれども、まずは宗教の戦争です。私は、ライックな原理を擁護します。とりわけこれが平和の原理であることが、その理由です。私は憲法にライシテの憲章、特に病院に適用できるようなものを盛り込みたいとさえ思っています。

――そんなふうにライシテをもう一度打ち出した場合、宗教の面でずいぶんと多様化して、多文化主義になっているフランスと両立可能でしょうか?

 だからこそ必要なのですよ。郊外の危機は共和国の信用を失わせているでしょうか? その反対ですとも! この危機は、共和国の現状を証しています。ただし、外観だけの共和国になってしまわないようにと条件を付けているのです。もし近くに、いい学校も標準並みの住居もなく、日常の安全も求人もなく、差別に対して戦うこともなかったら、共和国は抽象概念になってしまいます。私はコミュノタリスムのモデルには反対です。宗教的なもの、エスニックなもの、地方的なもの、どれもそうです。そして、私はよくわかっているつもりですが、もしも党から公認されたら、ここがサルコジ氏との重要な議論のひとつの焦点になるでしょう。彼のやり方は、私のと反対だと思います。

 ライシテという言葉がタイトルに出ているくらいだから、もうちょっと議論が展開されているとありがたかった。その点は残念。ライシテと郊外の話のつながりというのは、そりゃあるだろうと誰でも漠然と感じることはできるだろうが、どういう関係かをソリッドなモデルでとらえて、例えばアカデミックな地平で議論を展開するとかいうのはかなり難しいことだよなぁ。(き)

追記:結局、社会党の党内選挙はセゴレーヌ・ロワイヤルの圧勝でしたね。60パーセント以上も取って、これで二次投票はなし。