マルセル・ゴーシェ、ロワイヤル選出について語る

Ségolène Royal incarne

 社会党がロワイヤルで早くも一本化したのを見て、サルコジは大統領選出馬の正式表明を予定よりも少し急いだようだ。こういうところの嗅覚も冴えているというか何というか。話題をサルコジに持っていかれすぎないように、などと思っても、まったく大したことはできないが、ロワイヤル女史についてマルセル・ゴーシェが語っている記事を見つけたので、今回はそれを紹介したい。
 当ブログのアンテナにはLe blog Marcel Gauchetが組み込まれている。最初は本人の公式ブログかと思って登録したのだが、どうやら管理人は別人そう。それでも新着記事がときおり転載されたりするので、たまにのぞきに行く。今回ブログを訪れてみると、ゴーシェが、社会党の党内選挙でロワイヤルが選出されたことについて語った記事がある。出所は11月28日付けのリベラシオン
 ゴーシェ節は、凝縮力強め、抽象度高め、時折いかつめの単語が出てきて、日本語にしにくいうえに、contresensという翻訳で一番やってはいけない間違いをしばしば犯してしまいそうになる。書き言葉よりは話し言葉の方がいくらかましだと思うのだが。
 (以下の訳文は、わりと意訳です。一箇所???というところがあり*1、そこは強引に訳してしまいました。他にも思い違いがあるかもしれません。自分で気づいたらその都度直しますが、フランス語できる方で時間に余裕のある方、気づいた点があったらご指摘くださると幸いです。
※削除部について→「シラキアン」さんからコメントをいただき、「一箇所???」と思っていた疑問は解消、以下の訳文にも修正を施しました(12月2日)。

――セゴレーヌ・ロワイヤルが指名されましたが、どう評価しますか?

ゴーシェ:第一に、候補者同士の対立が、民主的な手続きで解決できたということがあります。最初は様々な野望が無秩序に猛り狂っていたわけですが。これによって、社会党の価値は高まりました。そのため、今や右の方がいくらか決まりが悪くなっています。ド・ゴール流の旧いプレビシット体制を敷いていますからね。第二に、セゴレーヌ・ロワイヤルは、激しい応酬に耐えて出てきたということです。経験豊かな者からしたら、アマチュアの証拠と思えるものがあったわけですが、大衆が抱く彼女のイメージは損なわれていません。大衆の筆頭に、ゴリゴリの社会党員がいるのです。

――それは彼女が変革というものを体現しているからでしょうか?

ゴーシェ:というより、彼女はミッテラン主義の解体を体現しているのでしょう。ミッテラン主義から脱け出すためには、教説が要ると思われていました。けれどもこうした知の面での刷新は、実を言えばかなりありえないことだったのです。ジョスパンの「調査権」*2はすぐに潰えました。他の政党にも言えることですが、社会党イデオロギーの見直しというパンドラの箱を開けることを恐れました。そんなことをすれば、どんなことになるかわかりません。選挙にも勝てることが証明済みの教説を守る方が、よかったわけです。うまく機能したことのあるやり方から離れるのは、いつでも大変難しいことです。問題は迂回路を通って決着しました。ことはイメージとシンボルの領域で行われ、ある特異な人物に体現されたのです。セゴレーヌ・ロワイヤルは別のところにいます。彼女はミッテランの遺したものを点検しようとはしていません。別のやり方を示しているのです。新たなページがめくられるのではという期待に対して、彼女はあるがままの自分で答えてみせます。ロワイヤル現象が示しているのは、大統領制の精神がいかに馴染みのものになったかということです。彼女の人柄の周辺で、政治というものの変化が徐々に進行しています。大統領選の結果がどうであれ、この動きを止めるのは難しいでしょう。

――そうした動きの原動力は何なのでしょう? 彼女が女性だということですか? 社会党の他の指導者たちのようには話さないという彼女の能力ですか?

ゴーシェ:「女性効果」は間違いありません。実験的なところがあります。これまであらゆることが試されてきましたが、女性というのは初めてです。試す価値があります。けれども単なる女性効果以上のものがあります。ひとつの文化現象、いや人類学的現象と言ってもよいでしょう。セゴレーヌ・ロワイヤルは、議論の相手を、文字通り時代遅れにしてしまいました。権威に訴える男流の旧いやり方が通用しないのです。この点から言えば、サルコジはそれをやろうと目論んでいますね。虚勢を張る彼の姿はよく目にします。けれどもセゴレーヌ・ロワイヤルの真の政治力は、フランス社会に起こっている深刻な権威の危機を理解し利用した唯一の人物だという点にあります。指導層の能力に対する不信感がこの国には蔓延していますが、彼女はその点をきちんととらえました。テクノクラートが尊大な言説を撒き散らしたところで、結果の不確実さは覆うべくもありませんし、権力の弱体化はますます露呈しています。私たちを治めている者たちは、鷹揚そうにしているけれども、腹のうちでは震え上がっています。それに気づかない者がいるでしょうか。それはジャック・シラクに表れていて、このラディカルソシアリストは怯えています。セゴレーヌ・ロワイヤルは自分には確信がないと言うけれども、それによって「何でも知っているムッシュ」という大変な役回りを避けているのです。これまで政治家はこの役割に押し込められてきました。そして、この役割に対する信用は、もはやなくなっています。彼女は、常に解決策があるとは限らないと、事もなげに認めます。それによって彼女は、現実に対してまっとうな距離を取っていることを示しているのです。それと同時に、断固とした態度も取れるようにも見えます。こうして彼女は、もう一つの権力のイメージを描き出してみせるのです。おそらくは、かなり大衆の熱望と位相を同じくする権力のイメージを。最初は議論して、決めたとなったらそれでいく、というわけですね。

――セゴレーヌ・ロワイヤルは様々な提案のために焦点がぼやけていますが、そこから抜け出さなければならなくなるでしょうか?

ゴーシェ:そこはまったく読めないところです。世論のシグナルを発し、様々な道を示してみせるというだけで、果たして選挙まで持つかどうか。最終的にはそうなるかもしれません。最近その例となるものを出しましたね。分権型・参加型の選挙キャンペーンというアイデアです。「地方分権化」はおそらく彼女の選挙運動のキーワードのひとつになるでしょう。近くにある権力を強化するという約束と並んでね。このテーマは国民の関心を引きつけます。それと同時に、社会主義の地主の支持を取りつけるという利点があります。彼らはこの方向性には喜んで味方します。ただ、社会の領域には上手く対応できないおそれがあります。国家の摂理というものは、複雑怪奇極まるものです。社会問題には、多くの機転が必要です。ここでの危険は、彼女のブログや、今のところ中断している彼女の例の参加型の本にすでに窺えます。つまり、いろいろと提案を出していくうちに、そこに一貫性を見出すのが難しくなって、膠着状態に陥らないかということです。すべては、いくつかの決定的な点を抑える能力が彼女にあるか否か、そこでポイントをマークできるかどうかにかかってくるでしょう。例えば司法、病院、教育などですね。このテーマについては、彼女はわざわざ自分で障害を作り出してしまいましたが。実際のところ、彼女は社会のシステムをひとつに見立ててがっぷり四つに組むというより、とりあえずの取っ掛かりからはじめようとしています。理論面から見れば、あまり褒められたものではありませんが、上意下達の政治と手を切ることを示せるかもしれません。

――なかにはもう、彼女はこの先下っていくだけだと言う人もいますが・・・・・・

ゴーシェ:そういう反応があるのも、状況が読めないからです。これまで左はつねに、その綱領を掲げるという精神で、右との違いを見せてきました。セゴレーヌ・ロワイヤルとて、何かを打ち出すというこのロジックから逃れるのは難しいでしょう。今のところ規準を示していないこの候補者が、曖昧さから抜け出してきたと思ったら、陳腐で、従来の候補者と同じで、別段パフォーマティヴではないということが明るみに出るかもしれません。あるいはまた、新たな道を見つけるということになるかもしれません。結果は予見できませんよ。ただひとつ確かなのは、フランス人は伝統的な政治と非常に手を切りたがっているので、未知のものに飛びつく用意ができているように見えるということです。

 この記事の翻訳中、歯を磨いている(ふ)がクリニカの成分欄を指差して、「これ一瞬ロワイヤルサルコジに見えない?」と言う。目を凝らすと「ラウロイルサルコシンNa」とある。確かに。(き)

*1:Qui ne voit que nous sommes gouvernés par des gens qui, derrière leurs grands airs, ont le trouillomètre à zéro ­ à l'image de Jacques Chirac, ce radical-socialiste qui a peur de son ombre ? というところ。ce radical-socialisteが不明。シラクと同格のわけはないし、この単語には女性形もあるので、ロワイヤルだったらcette radicale-socialisteとなるはずのところ。

*2:〔訳注〕ジョスパンは1990年代前半、ミッテランと距離を取ろうとして、その業績を総点検する権利(droit d’inventaire)を唱えた。