コントの死者崇拝について
死生学関係で論文を書こうと思って、オーギュスト・コントについてあれこれ考えています。
彼の死者崇拝論はもっと見直されてよいのではないかと思っています。
人類教を唱えるコントは、フェティシズムに大きな意味を与えますが、これはフロイト以前のフェティシズムであることを踏まえる必要があります。クロティルド・ド・ヴォーの髪を後生大事にして日々の礼拝を行なうコントの姿は、フロイト的な意味でもフェティッシュかもしれませんが、むしろ「もの」を手がかりに記憶をいきいきとよみがえらせるというニュアンスが強い。コントは人間とは忘れやすいものだと考えており、では忘れないためにはどうすればよいかという観点から、私的ならびに公的な環境を組織しようとしています。
- 作者: 末木文美士
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/05/29
- メディア: 単行本
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
死を忘却しがちとされるモダニティにおいては、悲嘆から「快復」することが「正常」とされるのに対し、最近ではそのモデルが見直され、「死後も続くきずな」という考えが受け入れられるようになってきています。この点コントは近代的というよりも現代的で、彼には「喪明け」という概念がなく(この点もコントとフロイトが違う点です)、「永遠の喪」とか「永遠のやもめ」を提唱します。もっともこれは、死別しても再婚できないということですから、それがいやな弟子たちの離反を招くのですが。
コントの死者崇拝の問題を掘り下げていくと、市民宗教やパンテオンの問題にも接続していきそうです。記憶の政治学とか、自律の世界における政治権力の正当化の宗教性とかにも。
現代フランス哲学で死の問題というと、レヴィナスとか、ブランショとか、デリダとか、ナンシーとかの名が思い浮かびますが、彼らはみなハイデガーを通過している一方で、コントの存在を忘れているに等しい。こういう知の構図を考えても、死の問題においてコントを「再発見」することはなかなかスリリングかもしれません。