サルコジ氏、ライシテ、「市民宗教」(アンリ・タンク)

 猫屋さんのところで知ったル・モンドのアンリ・タンクの記事、1月25日のものですが、ざっと訳出しました。2月10日の発表に備えて、現代のライシテと市民宗教の関係をおさえておこうと思ったのですが、あまり議論が掘り下げられていないのが原因なのか、訳してみてもちょっとよくわからないところがあります。ここで市民宗教というのは、サルコジアメリカモデルに近づいているということなのでしょうか。個人的にはサルコジをナポレオンのコンコルダやシャルル・モラスと近づけて解釈する視点があるということの方が面白かったです。それから、宗教が失った力を国家が肩代わりするのかという議論がありますが、国家の方もかつてのような卓越した統合力を発揮しえなくなって宗教の再利用を企んでいるところがあると思います。


 21世紀のヨーロッパには、どんな「ライシテ」がふさわしいのか。ライシテには、多文化主義やインテグリスムの脅威といった挑戦に応じたり、生命倫理や生死をめぐる問いを前にして確固たる見通しを与えたりするだけの力が残されているだろうか。それは、昔の紛争を止めたというだけの時代遅れのコンセプトなのか、それともまだ十分に動員力や統合力のある理念であって、将来のさまざまな挑戦についてもその対象範囲を画定した上で向き合うことのできる地平線として、国家と宗教の関係にきちんとした指針を与え続けるものなのだろうか。
 民主主義社会における宗教の位置をめぐる論争が、ヨーロッパで再び活発化している。キリスト教信仰が衰退する一方で、ムスリムおよびヒンズー教徒のマイノリティーが活発化している英国には、多宗教の社会(société multiconfessionnelle)の自覚がすでにある。これに対し、ドイツ、オランダ、フランスでは、マイノリティーたるムスリムの統合は、いつもかなりの緊張が付きまとう。スペイン、イタリアでは、(安楽死、同性愛者の結婚など)社会のなかで新たな権利として認識されつつあるような習俗の進展に対して、カトリックが反対の姿勢をとっている。彼らは、マドリッドでデモ行進をする。ローマでは、最近、前代未聞の事態が起こった。伝統あるサピエンツァ大学で「非宗教的」なデモの脅威があるというので、この大学で演説する予定だった教皇ベネディクトゥス16世が外出を控えることを決定したのだ。ひとつのタブーが破られた。これは教皇の発言の自由を意味する。政界と教会に衝撃が走った。
 このような状況で、ニコラ・サルコジは2つの演説を行なった。ひとつは2007年12月20日ローマのラテラノ教会においてであり、もうひとつは1月14日リャドにおいてである。そこで提示されたライシテは、フランスで1世紀という時間をかけてついに認められたライシテとはかなり異なるものである。それ以来、フランス大統領は、宗教について政治的で皮肉な見方をしていたナポレオンのような「コンコルダ」を企てているのではないかという見解が出てきている。ナポレオンは、革命後の市民社会と宗教の平和を再建することを目的として、ピウス7世とのあいだにコンコルダを結んだが、その1801年にこう書いている。「どうやって宗教なしで国家に秩序をもたらすことができるのか。社会が生き延びるためには財産の不平等がなければならないし、財産の不平等が続くためには宗教がなければならない」。
 サルコジをモラス流の古典的な右翼の系譜に置く意見もある。シャルル・モラス(1868‐1962)は不可知論者だが、カトリック教会が文明の面でなしたことを称えており、ライシザシオンと政教分離によって募った恨みを計算に入れていた。モラスにとっても、宗教のみが公衆の安全と秩序を保障する。彼は1912年の『宗教的政治』のなかで「宗教は政治の領域で攻撃を受けている。宗教を政治的に守らなければならない」と書いている。もっとも、モラスは断固たる反共和主義者であったから、サルコジとの比較は不適切である。
 おそらく最も反対意見が出ないと思われる見解は、サルコジ氏はアメリカ流の「市民宗教」を夢見ているというものだ。合衆国憲法は宗教と国家をきっぱり分離しているが、「市民宗教」なるものが存在している。これは、いかなる宗派にも支配的地位を与えないが、宗教を臆することなく公共空間の核心部分に位置づけるものだ。こうして、選出された大統領は聖書にかけて誓うのであり、あるいは別のところから例を挙げると、宗教の自由には制限がないことを大義名分に、サイエントロジー教会が市民権を持つのである。
 サルコジ氏がこれまで繰り返し述べてきたことによれば、彼は1905年の政教分離法を「その本質において」変えるつもりはないという。現にこの法律は、イスラームがフランス国内に居を構え、この国もイスラーム原理主義者がもたらす緊張や、福音主義が攻撃的になるような事態をまぬかれなくなってから、いっそう重要な指針であり続けている。けれどもサルコジは、(教権主義とライシテ派の)「二つのフランスの争い」からの切断をはかっている。諸宗教と国家は公式的には分離されているが、実際には多くの関係や妥協があって結びついている。彼はこのような偽善と手を切りたがっているのだ。サルコジが望んでいるのは、国家が宗教を無視している現状を脱して、歴史的・文化的側面における「宗教的事実」の公認へと移行することだ。彼にとって、宗教はたんなる「私的空間」に還元されるものではない。現にスピリチュアルな要求が存在しており、それを無視するのは正当でも現実的でもないというのである。

歴史の再構築
 イスラームで最もラディカルなワッハーブ派の牙城であるリャドで、サルコジの振る舞いを規定していたのも、同じ「現実政策」(Realpolitik)である。まずは神の名を13回も出しておき、それから遅ればせながら力を込めて宗教の「多様性」――これはサウジアラビア神権政治ではまず考えられないことだ――を称賛する。実際、彼はこう述べている。もし人間の宗教的側面が尊重されないなら、世界における宗教の持つ力の作用が無視されるなら、寛容ということがこれからの計画の中核に据えられなければ、「文明的な政策」が実現される見込みはまったくないだろう。
 すでにサルコジ氏に対しては「共同体主義」訴訟が起こされているが、これは時期尚早だと思われる。彼が宗教的な紛争を鎮めようとしていることには異論はない。けれども、その表現はいかにもぎこちない。彼はリャドで「神はそれぞれの人間の心にある」と述べているが、これはひとつの哲学上の意見であって、ライシテを奉じる国の国家元首としては驚くべき発言だ。また彼は、ラテラノの演説でライシテの歴史を一方的な見方で語ったが、これも歴史家にとっては驚くべきことだ。この演説のなかでサルコジ氏は、教会側についてはポジティヴな遺産のみを取り上げ、ライシテ側の唱えた異論についてはネガティヴな遺産だけを取り上げた。大衆の教育において「司祭」と小学校教師が果たした役割を同列に論じることは、歴史的な検証に耐えうるものではない。同じように、政教分離の戦いにおいて教会側だけが被害者で殉教者であったと仕立て上げること、歴史家ジャン・ボベロの言葉を借りれば、ライシテは「無駄に残酷」だったと思わせることも正しくない。サルコジが行なっている歴史の再構築は、真実からも公正さからも離れている。
 サルコジ氏のあやまちは、ライシテを習俗、行為、観念の世俗化と混同する点にある。これは、スペインとイタリアの司教団が犯している間違いでもある。彼らの場合は、キリスト教の記憶が薄れ、宗教的実践が衰退し、物質主義を享受するなかで信仰が停滞していることを、非宗教的な陣営の攻撃のせいにしている。ヨーロッパでは、それぞれの国の複雑な歴史と、キリスト教に基づく諸価値が崩れた結果、世俗化が勝利を収めている。けれども、「ポジティヴなライシテ」が唱えられている。これは、サルコジ氏においては、実は新教権主義的なライシテのことである。宗教的な言説が失った妥当性や説得の力を埋め合わせるのは、国家なのだろうか。
 宗教の力から解放された諸権利や国民が生まれたからこそ、反目しあう過激な宗教集団から独立して、民主主義的な国家が創られえた。プロテスタント社会学者ジャン=ポール・ヴィレムが言うように、ライシテは新たなヨーロッパのいわば「共通財産」となった。ヨーロッパのいかなる国も、もはやただひとつのイデオロギーの力や唯一の宗教には同化しない。ただしこのライシテの勝利は、宗教の社会的有用性を認めるのを妨げたり、民主主義を活性化する宗教の役割を否定するものではない。