吉田健一と森有正(辻邦生「ある試みの終り」より)

 辻邦生の文章に、吉田健一森有正を比較して論じたものがあるということは前々から知っていたのだが、はじめてその箇所を読んだ。「森有正――感覚のめざすもの」(新潮社版全集第15巻)の最後のあたりである。そこには明治以来、日本の知識人が西欧コンプレックスに苦しまざるをえなかったこと、そして吉田健一森有正もその状況を共有しながら、ある意味では同じような態度でそこを突破したことが述べられている。

辻邦生全集〈15〉評論

辻邦生全集〈15〉評論

 森有正(1911〜1976)と吉田健一(1912〜1977)は完全な同時代人で、出身校も暁星だから、おそらくは何らかの接点があったはずと思うのだが、相互に直接的な影響関係とかは感じられないし、スタイルとしてもずいぶん違う印象を受ける。前者は、渡仏して長いこと日本に帰ってくることができなくなった人であり、後者は、1年足らずでケンブリッジを引き揚げ文学の仕事場を日本に求めた人である。片方からは、生活をフランス語で組織するなかで日本語を硬質的に磨き上げた謹厳な学究の人を思い浮かべるし、もう片方からは、芳醇で流麗な文体で豊かな時間や文学の楽しみを歌い上げたエピキュリアンが連想される。片方はいかにも服装に無頓着そうだし、部屋は散らかり放題の印象なのに対し、もう片方はずいぶん身だしなみに気をつかい、部屋についてはよくわからないけれども整然としていそうだ。
 けれども、さまざまな証言によれば、森有正はずいぶんこの世の享楽を楽しむ人だったようだし、吉田健一の仕事の仕方はずいぶんストイックだったようだ。それに吉田健一の文体は、水がさらさらと流れるような印象も与えるが、それを支えているのが念入りに彫琢された言葉であることは明らかだ。そうすると、タイプは違っていても、二人にはずいぶん共通するところが多い。両者からはともに、西欧文明に深く親んだ豪胆な明治人の姿が浮かび上がってくる。
 となると、辻邦生が仏文の先輩である森有正に仕える一方で、吉田健一を文学上の師として本命と仰いでいたことも納得できる。自分より一回り上の先人の試みに辻邦生は何を見たのか。
 彼によれば、明治以来の日本の知識人は「何か自分でないもの」を抱え込まざるをえなかった。そのような状況のなかで、明治生まれの二人の文学者は、西欧文明に深く親しみ、その理解に努めた。それは文字通り格闘と言ってよかったが、それを通して、その果てに、自分自身と向き合うこと、自分の暮らしを再確認した。自分を形成するもののなかに、自分を見失わせるものも含まれているとしたら、そこを生き抜くことによって、自分でないものを去らせ、自分を取り戻すよりほかない。辻邦生は、その試みにおいて吉田健一森有正に本質的にパラレルなものを見る。

 吉田さんがその晩年に「変化」とか「時間」とかを考えたのは、われわれが変化なり時間なりを忘れるとき、自分を喪っているからであって、時間のなかに生き、変化を感じるということが、吉田さんにとっては自分を取戻し、自分の「暮し」を楽しむことであった。
 このことと関連して思うことは、森有正氏もこの「何か自分でないもの」が立ち去っていったあと、自分の感覚に純粋に触れてくるものから思想を形成してゆくことを考えていたことで、たとえば森さんの「経験」という考え方も「変貌」という考え方も、この自分の感じのなかに生きることを除いては生まれてこなかった。……
 この「存在」が「変化」のなかにあるという深い感動に彩られた認識が、西洋を考えぬいた二人の思索家のなかに、ほとんど同時的に生まれていることは興味深い。

 辻邦生は、二人よりもあとの世代が彼らほどの苦闘を経験しなくて済むのも、彼らの努力があったからこそと指摘している。それに、「西洋の後遺症」はまだいたるところに残っている。
 自分を省みても、まだまだ自分でないものを抱えてしまったところから抜け出せずにいることを感じるし、自分の目でものを見るということもまだまだ勉強中だ。