朝日新聞栃木県版の記事

 朝日新聞宇都宮総局の志村記者から受けていた取材が、栃木県版で記事になりました。これで、今回のことでマスコミに取り上げられるのは一段落します。自治医大の先生方にも取材をしていて、バランスのよい記事ではないかと思います。

連携実った、生後17日の生体肝移植
(2009年01月17日)


 下野市自治医科大が国内最年少記録となる生後17日の女児への生体肝移植に成功した。両親の決意、ブログを通じた情報交換、医療関係者の尽力が小さな命をつないだ。(志村亮)



 「かりんちゃーん」


 母、伊達史恵(ふみえ)さん(32)が呼びかけると、父、聖伸(きよのぶ)さん(33)に抱かれた香凜(かりん)ちゃんがほおを緩めた。生後3カ月になった。元気そうだ。


伊達さん夫婦と香凜ちゃん=東京都内



 仙台市に住む伊達さん夫妻の次女、香凜ちゃんは昨年10月10日、仙台市立病院で産声をあげた。


 生後10時間で元気がなくなり、血を吐くなどの症状が出た。生後4日で新生児集中治療管理室(NICU)のある宮城県立こども病院に転院。原因不明の劇症肝炎と診断され、生後8日から血漿(けっしょう)交換などが施されたが改善せず、内科治療は困難と判断された。


 手術を迫られたが、執刀医探しは難航し、複数の病院に断られた。それまでの生体肝移植の最年少記録は新潟大が05年に成功した生後25日。危険が大きかった。


 困った聖伸さんは自身のブログで「何かお知恵や役に立つ情報があればご教示ください」と呼びかけた。読者の返答から、ウェブ上に肝移植について情報交換するコミュニティーがあることが分かり、そこで自治医科大の移植手術チームを知った。10月23日夜、移植外科の河原崎秀雄教授(62)へメールを送った。


 自治医科大の反応は速かった。「過去、劇症肝炎への対応が遅れ、じくじたる思いをした事例があった」(河原崎教授)。翌24日朝にメールを返信。同日午後には同科の水田耕一准教授(43)が仙台市を訪れ診察した。移植手術をしないと命は救えないと確認した。


 自治医科大には140回を超える18歳未満の生体肝移植の実績がある。とはいえ、それまでの最年少実績は生後5カ月だった。


 水田准教授らは伊達さん夫妻に対し、「同大に生後30日未満の新生児の手術実績はないこと」「新生児肝移植の成功率は3〜5割であること」「成功しても脳に障害が残るかもしれないこと」などを丁寧に説明した。


 夫妻の決断は速かった。10月26日、香凜ちゃんはヘリコプターで自治医科大へ運ばれた。生後16日だった。


 手術は10月27日午前10時から、同大中央手術部の2部屋を使い、始まった。


 1室では、消化器外科の安田是和教授(59)を中心とする10人ほどのチームが、父親である聖伸さんの肝臓の一部を取り出す手術に入った。大人の肝臓から、新生児のおなかに収まる大きさだけを切り取るのは高い技術を要した。


 もう1室では、移植外科の河原崎教授、水田准教授ら8人のチームが切り出された肝臓95グラムの移植に挑んだ。太さが異なる大人と新生児の血管を結ぶのは難しい。通常1時間以内の接合に約3時間かかった。新生児は血を止める力が弱く大量の輸血も必要だった。体温調節の力も乏しいため、高い室温維持が迫られた。教授らは汗だくだった。


 手術は翌28日午前2時ごろまでの約15時間に及んだが、成功した。術後の経過も良く、香凜ちゃんの体重は4キロ近くまで増えた。昨年12月27日、退院した。


 史恵さんは「素早い対応に加え、危険の高い手術に挑んでくれた。自治医科大に素晴らしい先生方がいることを知って欲しい」と感謝する。



自治医科大移植外科の河原崎秀雄教授(右)と安田是和教授=下野市自治医科大


 ただ、河原崎、安田両教授は「多くの関係者が協力した結果」と口をそろえた。同大の手術は日頃から、他科も含め「100%以上の能力で回転中」(安田教授)。激務の中、麻酔科、検査部など他部署の医師や看護師、技師に加え、ヘリコプター手配の事務方まで百人以上が携わった。


 聖伸さんはブログで、香凜ちゃんが救われたのは「助からなかったお子さんのデータ」のおかげもある、としたうえで、こうつづった。


 「ようやく生後3か月になろうとしている小さないのちをここまで支えてくるのに、どれだけの人の手と力がかかっていることかと考えると、おのずと頭を垂れる気持ちになります」