サルコジと市民宗教

 2月3日に南山大学の「宗教と政治のインターフェイス」研究会で発表をさせていただくことになりました。ほぼ同世代ながら、フランスの都市の郊外の問題や文化的マイノリティーの問題などですでに一線で活躍されている森千香子さんから声をかけていただきました。
 発表題目は「サルコジと市民宗教」で考えています。内務大臣時代のサルコジの宗教およびライシテについての考え方については以前まとめたことがありますが、今回の発表ではそれに大統領になってからの発言を加味する予定です。
 ライシテ研究で売っていこうとしている以上、本来ならばライシテを最前線できちんと追っかけるくらいのことができなければいけないはずなのですが、今回機会を与えられてようやく2007年12月のラテラノ、2008年1月のリャド、2月のCRIFの夕食会、9月のエリゼ宮教皇訪仏にちなむもの)の演説をまとめて比較的きちんと読みました。それでようやく流れが見えてきて、発表のめどが立ちつつあります。
 「ポジティヴなライシテ」というスローガンは内務大臣時代から唱えていますが、この概念はラテラノでかなりの物議をかもしました。それは従来のライシテを「ネガティヴ」にとらえていて、(ライシテを信条とする)教師は宗教者に勝てないという趣旨の発言をしたからです。リャドでも神を大きく持ち上げています。この2つの演説はさまざまな方面から批判され、CRIFの演説では「ライシテの道徳が宗教の道徳に劣っているとは断じて言っていない」と発言をやや修正しています。しかし、それでは従来のライシテも「ポジティヴ」であることになってしまい、わざわざ「ポジティヴなライシテ」という必要がなくなってしまいます。この点を的確に指摘しているのが、『サルコジと神』の著者マルク・アンドローです。もちろんサルコジとしては、「ポジティヴなライシテ」を言い出した以上、簡単に引っ込めるわけにはいかなくて、エリゼ宮での演説でもこの概念を保持していますが、アンドローによれば、これはもはや意味のない言葉になっているといいます
 今回の準備でいろいろ勉強になりましたが、もうちょっとアクチュアリテに強くならないと。そうそう、ラテラノのスピーチ・ライターはエマニュエル・ミニョンとフィリップ・ヴェルダン、リャドは例によってアンリ・ゲノーらしいのですが、CRIFとエリゼ宮が誰か、どなたかご存知ですか。