母親より感謝を込めて

早いもので香凜の手術から3ヶ月が経とうとしています。お陰様で、目の前で元気に手足を動かしている香凜を見ていると、あんなに大変な手術を乗り越えて命からがらのところを救ってもらったなんて信じられないほどです。つくづく医療のありがたさを感じています。
やはり一番辛かったのは宮城こども病院で回復の見込みがないと告げられた時でした。まだ大丈夫、きっと大丈夫、と奮い立たせていた気持ちが崩れてしまい、肝移植に一縷の望みを感じてはいながらも私は情けないほどに何もできなくなってしまったのですが、その時にあきらめずに道を探してくれたのは主人と友人でした。
ちょうどその時期に、2歳の長女とアンパンマンの絵本を読んでいて、いつも希望を捨てずに強く明るくみんなを助けてくれるアンパンマンを見て、「私もパパも先生方も、みんな香凜のアンパンマンになりたいね」と話していたのです。どこの病院からもいい返事がもらえず、主人が藁をもすがる思いでブログやミクシィの肝移植コミュニティに情報を載せたところ、早速心あるお方からお返事を頂き、忘れもしない10月23日木曜日の夜に、「香凜のアンパンマン、見つかったかも!」と明るい声で、主人が自治医科大学附属病院移植外科のホームページを見せてくれたのです。河原崎先生と水田先生のお写真が載っていて、本当にアンパンマンが見つかったかも、と思った翌日の朝、早速水田先生からメールでお返事を頂いて、その日の午後に仙台まで出向いてくださった嬉しさは忘れられません。それまでどこの病院からもデータだけで断られていたので、実際に香凜を見て判断して頂けるというだけでも、本当に感謝の気持ちで一杯になりました。
香凜には不調の原因が見つかっていませんでしたが、問題があるのは肝臓だけに違いないと、信じたい気持ちで一杯でした。必死の思いで道を探していたときに、自治医大の移植外科の先生方が手を差し伸べてくださって、香凜と私たち家族の未来が開けたのです。
母親の私はとにかく香凜を失いたくない、この子をずっと手元においておきたい、愛しんで育てたい、それだけでした。どうしても香凜のいない未来は考えられなかった。一人手術を受けてくれる先生が見つかればいい。日本に一人、世界に一人でも、絶対にこの子を受け入れてくれるお医者さんがいるはずだ、と。
手術の前日に水田先生からお話を聞きながら、そして前日に青森からお帰りになったばかりで夜遅くに主人の病室まで出向いてくださった河原崎先生のお顔を見て、ああ、私たちは、香凜は、本当にそういう先生方に出会えたのだと確信しました。香凜が生まれてからずっと本当にすばらしい月夜が続いていたのですが、月が願いを聞き届けてくれた、そんな感じでした。
手術が終わった翌朝、ピンク色の頬をしてはかはか呼吸をしている香凜を見ながらすごい事が起こったなあと感動している私と母親に、ほとんど寝てなかったであろう江上先生が「普通の仕事ですよ!」と仰ったのは印象的でした。林田先生も、真田先生も、本当に先生方は何時休んでいるのだろう?と思うほどに、慎重に、注意深く、香凜の経過を見守って下さいました。
3A病棟の看護士さんたちも本当によく面倒を見てくださって、退院が決まった時は一人ひとりの方の手を握って回りたい気持ちでした。
今香凜は穏やかに私たち家族の輪の中にいて、何事もなかったかのように一日一日成長しています。この子が助かったことは本当に幸運や善意や熱意や努力に支えられていて、私達家族は毎日そのことに折に触れて感謝しつつ、大切に日々を過ごしていきたいと思います。(ふ)