来週、宗教法学会にて

 11月7日(土)、愛知学院大学(日進キャンパス、けやきテラス3Fけやきホール)で第59回宗教法学会が行なわれます。発表者は4人います。私も発表させていただく予定です。

午前の部(10時〜12時15分)
 昭和10年代の特別高等警察と宗教  小島伸之(上越教育大学)
 正義とケア――ケアの概念が法にとってもつ意味について  堅田研一(愛知学院大学
午後の部(14時15分〜16時30分)
 2つのライシテ――スタジ委員会報告書とブシャール=テイラー報告書を読む  伊達聖伸(東北福祉大学
 メキシコ憲法における国家と教会の分離――その国家の非宗教性  小泉洋一(甲南大学

 自分のぶんの予告編は以下のようなものです。

 「ライシテ」という言葉は、もっぱら「厳格なフランス型政教分離」のイメージと結びつきがちだ。2004年の「ヴェール禁止法」と通称される法律は、「宗教に厳しいフランスのライシテ」のイメージをますます増幅させているかもしれない。だが、このようなライシテ理解は一面的だ。本発表では、近年フランスとカナダのケベック州で招集された2つの委員会の報告書の読解を通して、現代のライシテが目指そうとしている方向性を探りたい。
 発表のタイトルである「2つのライシテ」には、以下のような複合的な意味合いを込めている。
 1、フランスでは、1905年法100周年を目前に控えた2003年に、シラク大統領が、共和国の根幹をなすライシテの原理を現代の状況に合わせて運用していくための具体的提言を求めて、スタジ委員会を招集した。ケベックでは、文化的・宗教的マイノリティのアイデンティティはどこまで承認されるかという、「良識的な妥協」の問題をめぐる議論が白熱していた2007年初頭に、ジャン・シャレ首相が、チャールズ・テイラーとジェラール・ブシャールを委員長とする「文化的差異にかかわる妥協の実践に関する諮問委員会」を招集した。スタジ委員会報告書からはフランスのライシテの姿が、ブシャール=テイラー報告書からはケベックのライシテの姿が浮かび上がってくるだろう。同じ「ライシテ」とはいえ、公共空間における宗教的・文化的差異をより積極的に承認する用意があるのは、ケベックのライシテのほうだという印象を強く受ける。
 2、ただし、フランスのライシテも一枚岩ではない。むしろそれを二重化したものととらえるべきではないのか。なるほど、スタジ委員会の提言を受けて、ヴェール禁止の法的な措置が取られるに至ったのは事実だ。だが、スタジ委員会の提言はさまざまなオープンな面を含んでいた。それは、ヴェール問題のみに限定されるようなものではない(だからこそ、委員会のメンバーの一部は、報告書の提言がヴェール問題に「矮小化」されたことについて、怒りや失望の色を隠さなかった)。それゆえ、スタジ委員会の唱えるライシテと、「ヴェール禁止法」のライシテを「2つのライシテ」と見なすこともできると思われる。
 3、ブシャール=テイラー報告書は、「主権主義者」のブシャールと「連邦主義者」のテイラーという、ある意味で対照的な顔ぶれの2人の共同執筆によるものである。ここにも、ある程度、「2つのライシテ」の姿を窺うことができるのではないか。
 このように、ライシテをさまざまな位相で二重化していくことは、下手をすると、ただでさえ複合的なライシテ概念を、いっそう複雑怪奇な代物に仕立てあげてしまうことにつながりかねない。だが、発表者の狙いはむしろ、以上の作業を通じて、現代のライシテの基本的な理念を浮かびあがらせていくことにある。私たちは、フランス型のライシテとケベック型のライシテの違いだけでなく、両者のあいだの双方向的な影響関係についても目撃することになるだろう。
 4、そうすると、「2つのライシテ」とは、1のような「フランスのライシテ」と「ケベックのライシテ」といった定式化を離れて、「共通の利害を優先するライシテ」(あまり語呂はよくないが)と「アイデンティティを承認するライシテ」といった形で再定式化できるかもしれない。
 5、さらには、政教分離・宗教的自由の保障・国家の宗教的中立性のあいだでバランスを保ってきた「従来のライシテ」のあり方を踏まえながら、それを脱皮していくような、新しい人権保障と社会統合を目指す「21世紀型のライシテ」の姿が浮かび上がってくるかもしれない。
 もっとも、実際問題として、本発表で4や5のような野心的な地点にまでたどり着くことは難しいだろう。その意味では、本発表は慎ましやかなものである。ただ、少なくとも次の点だけはきちんと伝わるようなものにしたい。それは、(1)フランスのライシテとケベックのライシテには比較的大きなニュアンスの違いが認められること、(2)にもかかわらず、同じライシテの名において文化多元主義的な社会における共生という現代的課題に向き合おうとしていることは、2つの社会に共通していること、である。