明日、島薗ゼミにて

 明日、島薗進先生から、学部演習のゲスト・スピーカーとして呼ばれています。与えられている仮題(課題?)は、「フランスと日本の近代宗教史の研究に取り組んで」。元応援団長なんて紹介のされ方になっています。
 学部生の頃を振り返りながら、研究経歴と現在の研究の紹介をして、日本のライシテというテーマで先生に御恩返し的な挑発を試みたいと考えています。
 コンセプトは、わかりやすくスリリングに、です。盛り込みすぎて学部生に難しいなどと言われないようにしたいですが、どうなるやら。
 以下はレジュメの見出し。

日本とフランスの近代宗教史研究に取り組んで
◇嘲風会風に先輩風を吹かせて……
 ◎学部生の頃(1995〜1997)
 ◎ロスジェネ世代の灰色入院生活(1997〜2002)
 ◎フランス留学(2002〜2007)
 ◎帰国後(2007〜)――現在の関心の中心
 ◎今日の発表の焦点
◇ライシテとは
 ◎スタジ委員会報告書(2003)が定義するライシテ
 ◎ブシャール=テイラー委員会報告書(2008)が定義するライシテ
 ◎ライシテの構成要素
◇「日本のライシテ」を考える
 ◎ライシテと世俗化
 ◎「文明化」「近代化」「グローバル化
◇政教関係と信教の自由の位置づけに注目して
 ◎ヨーロッパの場合
 ◎現代の日本の「人権」
◇明治〜終戦
 ◎日本で言う「人権」は欧米のそれと同じなのか?――「権利」という訳語
 「宗教」と「religion」の差異も重要だが、「権利」と「right/regt/droit」の違いも重要
 ◎日本にとっての「信教の自由」問題
 岩倉使節団が見たもの
 ◎大日本帝国憲法と人権
 ◎国家神道形成過程のなかで、骨抜きにされた信教の自由(村上重良の研究)
◇戦後
 ◎日本国憲法と「ライシテ」
 第20条と第89条 
 ◎象徴天皇制と人権
 ◎戦後の新宗教の光と影
 ◎戦後の宗教と人権
◇現代
 ◎1999年、国旗国歌法
 ◎2006年、教育基本法「改正」
 ◎2000年代、靖国問題再燃
☆「ライシテ」の観点は、日本宗教史再読、国際比較の議論設定に有効ではないか。

 私の見るところ、島薗先生は、「日本のライシテ」を語ることにやや懐疑的。しかし、検討を進めていくことはたいへん重要という立場。
 私としては、では実際に検討し、いくつか論点を出してみて、先生から何が引き出せるのかを探ってみたい。
 私の考えでは、ライシテを再構成して理解するなら、日本も(少なくとも現行憲法上は)かなり厳格なライシテの国。しかし、そういう意識は社会にはないし、そのように考えている人も非常に少ない。
 たぶんフランスのライシテとの大きな違いは、「国家が個人を解放する」、「個人の権利が集団の権利に優先する」というフランスの「常識」が、日本の「常識」とかけ離れていることだと思う。しかしそれは、日本のライシテとフランスのライシテが違うということなのだと考えたい。ライシテと言えばやはりフランスが真っ先に思い浮かぶが、フランスのライシテが唯一のライシテのモデルではないのだと言いたい。
 「それでも日本にはやっぱりライシテという考え方は馴染まないんじゃないですか?」というご意見は大いに結構。ありがたく頂戴します。おそらく、そうおっしゃる人から見ると、私は見当違いの当てはめに四苦八苦しているように見えるのかもしれない。だが、私から見ると、そういう意見を吐いて満足なさるかたの大部分は、本質主義的な見方を脱していないように見える。「ライシテ」が日本の宗教史叙述に不適切とおっしゃるならば、「宗教」とか、「人権」とか、「世俗化」とか、そういう言葉についても、もっともっと繊細な感受性をはたらかせて、ラディカルなとらえ返しをすべきなのではないですか、と言いたい。
 (なお、これは実際にそういう「敵」がいるという話ではなくて、私自身の問題意識を表明するとこんな感じになるという類のものです。)
 (あ、それから私のどのへんが島薗門下らしいかというと、レジュメを作るときに◇と◎を使うことです(笑)。)