新年の抱負

 「人生の選択」になるかもしれないものを抱えながら年が明けた。降って湧いたような話といえばその通り。燻りや蟠りをうまく晴らし、解放していくには、新しい選択もありかもしれない。自分が通路になって、風通しがよくなるのであれば、それもよいと思う。しかし、今まで積み上げてきたものと、うまくつながってくれるかどうかはわからない。自分の人生を振り返ってみるに、周りが順当と踏むのとは違う路線に飛び出して、驚かせるようなことも何度かしてきた。誰でもそうだと思うが、自分のなかに巣食っている分裂にそれなりに苦しみつつ、なんとかつながりをつけるようにしてきた。
 チャンスがあれば外に飛び出す性向は、たしかに自分のなかにあって、今回も気持ちは揺れに揺れ、現時点で思い描くことのできる2つの近未来像を想像するだけで、いかにも足元がおぼつかなくなるという情けない思いを味わう。立場によってかくも世界の開示性が異なるのかという現象学的なシミュレーション。あわよくば、そこがひとつになってくれるのではないか、という甘い期待を抱く自分が一方にいる。しかし他方には、この分裂――自分だけでなく社会の――を抱え込んでひとつにするだけの器と能力が、自分には欠けていることをよく知っている自分がいる。
 悩んだ末、今回ばかりは踏みとどまろうと思っている。しかし次にチャンスが来たときに(来なくても後悔はしない)、自分で自分の器と能力に期待ができるような状態にしておくことは、今まで積み上げてきたことと必ずしも齟齬を生むことなくできるはずのことだ。
 そこで、新年らしく今年の抱負を掲げるならば、同時代人になるための努力ということを、今までよりも意識化していきたい。

わたしたちが今この時代を生きているというのは、自動的にそうなるわけではありません。傾向としては、遅れていたり、ずれていたり、別のところを生きていて、夢遊病にかかったような状態で現在を横切っているわけです。自分自身の同時代人になるということは、困難なことなのです。(マルセル・ゴーシェ)