耳が痛いような話

 自己実現には、ある部分を伸ばすために別の部分を諦めるといった方向性もあれば、伸びうる可能性をできるだけ多様に繰り広げるという方向性もあるはずだ。そう考えると、外からの刺激に素直に共鳴することは、真っ当な反応であるようにも思えるが、いかにも節操がないようにも見える。 

 国家の変革が起るのは、相対立する一方の側の部分を、外部から相似た立場の同盟勢力が援助しにやってくることによってであったが、ちょうどそれと同じように、若者が変化するのも、彼の内にある諸欲望のうちの一方の側を、それと同族で相似た種類の欲望が外部から援助しにやってくることによってではないだろうか?……そして思うに、もしそれに抵抗して他方の同盟勢力が、父親なり他の身内の者なりが訓(さと)したり咎めたりすることによってそこから繰り出され、自己の内なる寡頭制的な部分を援助しにやってくるならば、そのとき反乱とそれに対抗する反乱が起り、彼の内部で自己自身に対する闘いが行なわれることになるだろう。(プラトン『国家』第8巻)

 このような若者は、必要な快楽に劣らず不必要な快楽のために、金と労力と時間を費やしながら生きて行くことになるだろう。……もろもろの快楽を平等の権利のもとに置いたうえで暮らして行くことになるだろう。……そのときどきにおとずれる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送って行くだろう。あるときは酒に酔いしれて笛の音に聞きほれるかと思えば、つぎには水しか飲まずに身体を痩せさせ、あるときはまた体育にいそしみ、あるときはすべてを放擲してひたすら怠け、あるときはまた哲学に没頭して時を忘れるような様子をみせる、というふうに。しばしばまた彼は国の政治に参加し、壇にかけ上がって、たまたま思いついたことを言ったり行なったりする。ときによって軍人たちを羨ましく思うと、そちらのほうへ動かされるし、商人たちが羨ましくなれば、こんどはそのほうへ向かって行く。こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守りつづけるのだ。(同上)

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)