形だけ整えても

 上京。明日からケベック。今回悩んだことにつき、相談相手になってくださった先輩にお会いする。すっかりご馳走になってしまう。ありがとうございました。
 去年の政権交代は、日本の民主主義や市民の意思の成熟だとか、これで日本も二大政党制だとかマスコミが煽りたてるなかで、そうじゃないんじゃないかと疑ってかかっていた人も、一定数いたと思う。民主党の高支持率も年末あたりから落ちてくるだろうと言っていた人もいる。
 マルセル・ゴーシェの『民主主義と宗教』(来月初頭刊行予定)を読んで、民主主義は疑いえない価値になったが、その推進力は失われているという説に深く深く納得させられた自分としては、日本の民主主義の成熟なるものはむしろ偽装されたもので、すでに形だけのものになっているというのが真実ではないかということを漠然と感じていた。
 吉田徹さんの『二大政党制批判論』(光文社新書)を読んで、そのもやもやに形を与えてもらったような気がした。

二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ (光文社新書)

二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ (光文社新書)

 二大政党制のもとでの政治は、社会から政治への回路が2つの政党にしか担われないという欠点を持つ。それだけ、社会の多様な意見が政治の場に伝えられなくなる可能性があるのだ。社会が複雑化し、様々な価値が噴出するような時代に、二大政党制への移行はむしろ逆効果ではないのか。

 これだけ社会が多様化し、さまざまな立場や考え方があるなかで、二大政党制はむしろそれを切り捨ててしまう傾向があり、いっそう無党派層が増えるというわけだ。政治と国民は、近づいているように見えて、実は遠ざかっているのかもしれない。

 現代デモクラシーの大きな問題は、代議制民主主義の機能不全にある。議会政治は、市民の関心から離れて権力の奪取や維持を中心とした場に陥りやすい。さらに個人化が進んだ現代社会では、市民が持つ個別的な選好をもはや吸収しきれない。このことは「代表する」という機能そのものが低下していることを意味している。

 それでも、代議制に意味がないわけではないし、さっさとそれを脱ぎ捨てるようなことも現実的ではない。吉田さんは続ける。

 代議制民主主義そのものが限界を露呈し、機能不全を呈しているのは間違いない。しかし、議会は長い時間をかけ政治的な正当性を勝ち得て、発展してきた制度であり、また機能不全や暴走を回避するような仕掛けも埋め込まれている。議会政治を通じた「入力」がどうしても目詰まりを起こしているなら、それを取り除くような努力をしていくことが重要となる。

 個人的には、現代の日本が直面している状況を考えると、自民党民主党で政策が似通ってくることは理解できるが、二大政党制の体裁を整えることありきだと、差異創出のゲームとしてのマニフェストはどうしたって中身を持ちえない。二大政党制の弱点に「これはまずい」という意識を持ち、陳情に耳を傾けるよりも、耳を澄ますことのできる想像力・創造力を持つ人が、限界を知りながらせっせと声(ときには声ならぬ声)を伝えようとすること、そういう人が政治家のなかにも出てくることが、まずは必要なのではないかと思う。