研究活動

 ケベックに来て、ちゃんと研究活動しているのだということも書いておこう。
 CEETUM(モントリオール大学連合民族研究センター)は、モントリオールに拠点を置く各大学の研究者が集い、さまざまなプロジェクトを行なう研究センターになっていて、出版物の点数や質、助成金の獲得状況などを見ると、かなり活発な活動をしているようだ。
 この研究センターに(生意気にも)客員教授(professeur invité)の資格で招いてもらった格好になっていて、個室の研究室を使わせていただいている。週末も出入りOKだ。
 ミシュリーヌ・ミロ、ダヴィッド・クサンスに温かく迎え入れられて、さまざまな情報をいただいたり、こちらの問題関心に合いそうな資料を手際よく探してくれたりしている。そのための環境も整備されていて、たとえば学術誌のバックナンバーを電子媒体で閲覧できるよう、センター単位で購読契約を結んでおり、研究室のコンピューターからアクセスすると、それなりの数の論文を探り当てることができる。一般的な印象だが、外部の研究者が何を求めてきているのかを把握し、それにどう対応すればよいのかのピントが合っていると思う。自分が、日本に来た外国人研究者に対して同じことができるかというと、心もとない。今の段階では、ずいぶん漠然としたアドバイスしかできないように思う。これには、私自身の能力が欠けているということもあるが、研究が社会のなかでおかれている条件という要因もあるのではないかと思う(もっとはっきり言いたいが、このあたりは言語化するのが複雑で、なかなかうまく言えない)。
 モントリオール大学教育学部では、ミレイユ・エスティヴァレズの授業を見学させてもらった。受講者は8人。将来、中等教育で「倫理・宗教文化教育」(ECR)を教える先生になる人たちだ。いかなる態度で教えるべきかを論じた論文や、教育省のプログラムをエスティヴァレズが編んだものを教材としている。仏語圏ながら、メソッドが北米らしさを感じさせる。パワポを用いながら、このような場面ではどうするのがよいかといったことを学生と議論しながら進めていく。教師にはやはり自分の信条は括弧に入れながら、生徒のスピリチュアルな面を伸ばすことが求められているようだ。
 ケベック(・シティ)のラヴァル大学で見学したのは、将来小学校でECRを教えることになる生徒たちの授業だ。50人くらいの受講者のうち、男性の受講者は2人だけで、あとはみんな女性。ケベック初等教育の先生は、ほとんど女の先生なのだという。プログラムの説明も交えながら、受講者が小さい頃の経験を思い出させるような授業の構成になっていて、なかなか上手な進め方だなと思った。
 教育省でECRのプログラムの責任者を務めている、ジャック・ぺティグルにも会うことができた。ECRは、保守的なカトリックと急進的なライシテ推進派の双方から挟撃にあっており、メディアもそうした見解を大きく取り上げるが、実際には少数派で、多くの人から好意的に迎え入れられていると思うという。たしかに説明不足の面があるから、きちんと説明することを続けていく必要があるが、むしろ問題は、きちんとECRを教えることができる教員を養成することなのだそうだ。将来教職に就く若い学生たちはもちろん、現在すでに教壇に立っている教師の質をいかに確保するかが、なかなか微妙で難しい問題なのだという。