中等教育現場と文部官僚の行き来について

kiyonobumie2010-01-20

 1月10日の朝日新聞の教育欄に「「こうなるはず」は通じない――キャリア官僚から中学校長に転身して」と題して、浅田和伸さんのことが取り上げられていた。文科省のキャリア官僚が、都内の区立中の校長になり、距離感を確かめながら、いい意味での試行錯誤を繰り返しているということが伝わるような記事になっている。
 取材をしたのは青池学記者。

 官僚としての自分の仕事が、様々な課題を抱える学校や子どもたちのためになっているのか。霞が関で働きながら、そう自問し続けていたという。たどり着いたのが「自分も現場に参戦すべきだ」という結論だった。

 浅田氏の発言から引用。

 実は校長になってから、一度も文科省には行っていません。普通の校長はそんなことしませんから。ただ、注文はある。学習指導要領が典型ですが、教育行政には「こう教えれば、こういう力が育つはずだ」という制度が多い。でも、現実はそんなに単純じゃない。各学校や自治体の責任で、いろいろな挑戦や試行錯誤ができる柔軟な仕組みにすべきです。

 普通、文部官僚が出向する場合、教育委員会の幹部ポストが一般的で、現場に飛び込むのは「異例」という。このような人がもっと増えれば、風通しもよくなり、政策のピントも合ってくるだろう。
 逆に、現場の教師が文科省に入り込むという構図は、ちょっと考えられない。おそらく、異例中の異例だろう。
 今回のケベック調査では、教育省も訪れたが、「倫理・宗教文化」教育のプログラム責任者ジャック・ぺティグル氏は、18年間私立中学校の現場で「宗教史」を教えてきたという経歴を持つ。そこから、教育省に入っているのだ。人柄としても、官僚らしくない。もちろん日本の官僚も、マスコミが描き出すようなイメージの人ばかりではないはずだけれども。
 ケベックの教育省は、「今日の1枚」の写真にあるように、やはり官庁の建物らしく、お堅くお高く聳えている感じなのだが、なかに入ってのぼってみると、窓からは四方を眺めおろすことができ、その景色は精神衛生的によさそうである。霞が関のなかの建物から見える景色というのは、どんな感じなのだろう。案外そういうことも影響しているのかもしれないなどと考える。

 なお、右半分の中ほどに見えるのが、かの有名なシャトーフロントナック。その向こうには、氷の固まりを抱えながらゆっくりと動くセントローレンス川の流れ。中央遠景がオルレアン島。ぐっと左のほうで霞んでいるのが、どうやらモン=サン=タンヌ。