宗教と民主主義研究会

 前回のエントリーでは『民主主義と宗教』合評会の宣伝をしたので、相当紛らわしい印象を与えるはずだが、「宗教と民主主義研究会」とは、去年の12月に民主党のなかに発足したもので、宗教法人への課税を検討している。端的に言えば、政権交代前の自民党にとって公明党は必要で、この問題に切り込めなかったが、民主党にとっては、宗教法人の税制上の特権見直しは、財源確保の一手段となる。
 「SAPIO」(個人的には普段はほとんど買わない雑誌だ)の2月10日−17日号が、「誰も知らない日本の宗教「カネと実力」」という面白い特集を組んでいる。
 同誌の政界特捜班によると、

 宗教団体は、その集票力を背景に政権与党に影響力を行使し、税制面で優遇を受けてきた。だが、その最大勢力、創価学会の力を借りずに総選挙で圧勝した民主党が、長い間この国で《タブー》とされてきた宗教法人課税の抜本的改革に動き出した。

 特集記事は、小沢一郎が「宗教法人も応分の税金を払うべきだ」と持論をかねてより持っていたことを指摘している。また、宗教法人への課税強化を主張してきた憲法学者、北野弘之が「宗教法人の税制上の特権を見直せば、ざっと数兆円規模の税収が見込めるのではないか」と語っていることを紹介している。
 ゴーシェの『民主主義と宗教』は、そういう話ではまったくないのだが、今の日本で「宗教と民主主義」と言えば、第一にそういう話になることを、どう位置づけられるかということは、考えるに値しそうだ。
 逆に、「宗教と民主主義研究会」に(賛成であれ反対であれ)当事者として関与している人は、『民主主義と宗教』みたいな本をどう読むのかということも興味がある。
 いや、しかし、理論家は、実務に詳しくなくても、実務的なものが社会のなかで占める位置づけについては関心を持つということは大いにあり得るが、実務家が、理論的な位置づけのなかで自己理解をするということは、同じような割合では期待できないかもしれない。
 戦後の宗教法人の話とは異なるが、フランスの政教関係と、日本の政教関係とを比較するための糸口のひとつを考えるとすると、フランスはガリカン的な王権から近代国民国家へ、という移行のなかで、断絶のなかにも中央集権的なものの連続性が認められるが、日本は近代国民国家としては中央集権的、それよりも前の伝統的な宗教的慣習は地域密着型という感じがしていて、これまで中央に出てくる地方の政治家が地域誘導型の政策を主張してきたのも、それと関係があるような気がする。日本での地方分権も大いに結構だけれども、今までの体質の歴史的な原因をあれこれ明らかにしておくことは必要だろう。優れた制度にも病理があり、その病の発現の仕方は、おそらく歴史や文化のあり方と密接にかかわっていると思われるからだ。
 そういうことを考えていると、『民主主義と宗教』と「宗教と民主主義研究会」の話もどこかでつながってくるようにも思うのだが、現段階では私のなかに圧倒的に言葉が足りない。
 南山での合評会では、宗教法人課税プロパーの問題は、少なくともメインの論点ではないだろうが、現代日本の政治と宗教を考えるうえで出てくる、ひとつの論点ではあるかもしれない。