それにしても誰がまだキネを読むのか

 エドガー・キネについての論考に取り組んでいて、とりあえず、その第1稿を仕上げた。原稿の締め切り自体は2月末だから、これだけ見ればスケジュール的には順調だけど、こうやって仕事をできるときに前倒ししないと、いろんなことが追いつかない。
 博論の終盤から、ということは2007年頃から気になりはじめ、ライシテの道徳と宗教研究の同時的展開をたどる自分の博論の内容からして、補論にしてもいいくらいだ(とてもそんなものを書き加える余裕はないけれど)と思っていた人物。
 実際、審査のときも、J・ラルエット先生から、キネについてもうちょっと論じてもよかったのではと指摘された。そういうこともあって、ずっと気になっていたのだが、今年度の頭から著作や研究書を買い込んだりしていた。
 しかも、その春頃から、キネは19世紀フランス自由主義の運命を見届けるうえでも興味深い人物であるということがわかってきた。それがさらなる補助線になると思われた。夏の終わりころから、ほかのものとの兼ね合いはあったけれど、断続的ながら半年ほどかけて書いてきたので――奇特にもキネで年越しをしてしまった――、ひとまず形になって嬉しい。
 書いている過程で、キネの宗教史の特徴や、宗教革命の提唱から諸教会と教育の分離にスライドしていく様子や、自由主義と共和主義の葛藤や、同時代や前後の世代との関係など、いろいろ見えてきたのは面白かったけれど、問題を解決したというよりは、さまざまな問題の在り処を提示した論文。そういう意味では、キネ論としては不十分なところもあるだろう。でも、この先も自分がキネをつっついていって、どこまで面白くなるかは微妙。
 いずれにせよ、今回キネに取り組んだことで、フランソワ・フュレの才能に触れることができたのは、自分にとってうれしい収穫。ポイントを上手に押さえつつ、歴史家らしく渋い資料を引いてくる。これはたぶん趣味の問題だけど、自分には、クロード・ルフォールの議論はやや取りとめなく感じてしまう。
 それにしても、キネはフランスでもマイナーなようだ。『エドガー・キネの近代性について』という本のなかで、エドゥアール・ボグランは、「キネについて私が言わなければならない2,3のこと」と題されたあとがきのなかで、「エドガー・キネは長いあいだ私にとってパリのメトロの駅名にすぎなかった」と言っている。
 そこに書いてあることで私は初めて知ったのだが、ピエール・ペレのシャンソンに「ベルシー・マドレーヌ」という、パリのメトロで言葉遊びをしている歌があって、そこでは「生まれたエドガーくん」(le petit Edgart qui naît)と言われている(歌はこちら。歌詞のわかるリンクをふたつ。こちらこちら)。
 ボグランの文章の最後を締めくくるのが、« Mais qui lit encore Edgar Quinet ? » 「それにしても誰がまだエドガー・キネを読むのか」という一文で、これを読んで私は思わず吹いてしまったよ。

【追記】例の歌、言葉遊びでわからない個所も少なからずあるんだけど、歌詞を見てみたらすごい。フランス人が好きそうな(?)「大人の歌」だね。エドガー・キネは、母親がピルを飲むのを忘れてできてしまった子どもだったなんて(笑)!