「市民宗教」対「ライシテ」

 最近よくタイトルに踊らされている私、である。この前は、「ロラン・ファビウスがライシテ憲章採択を賞賛」にやられた。今回は、イヴ・デロワの論文の中に「religion civile versus laïcité « à la française »」(市民宗教対≪フランス流ライシテ≫)「l’impossible religion civile en France」(フランスでは不可能な市民宗教)という中見出しのタイトルが踊っていたので、読んでみたら、期待していたのと違ったという話である。
 「市民宗教」というのは、ごく簡単に言うと、ルソーが提唱してロバート・ベラーが社会学の用語として概念化したものである。「サヴォワの助任司祭の信仰告白」で「個人の宗教」を擁護しているルソーは、『社会契約論』の最終章で、「司祭の宗教」に代えてこの「市民宗教」を導入することを説いている。およそ200年後、ベラーは「アメリカの市民宗教」という論文を書いて、この言葉を甦らせた。市民宗教という概念は、近代的な政治装置を宗教性の観点から指摘できるという利点や強みを持っているが、超地域的な分析概念として用いるにはいささか大雑把で厳密性に欠けるところがあり、現在、学術用語としてこの概念を用いるには、ある程度の慎重さが要求される。逆に言えば、洗練途上の概念である。
 「アメリカの市民宗教」という切り口は、それなりに発見がある。ベラーが指摘したのは、アメリカでは政教分離がなされているが、政治文化の中心に、超宗派的なキリスト教としか言いようのないものがあるということだ(大統領が『聖書』に手を置き「神がアメリカを祝福したまいますように」と宣誓する)。このような意味では、フランスは市民宗教の国ではない。けれども、市民宗教というのは、もともとルソーが唱えたように、フランスにおいて構想されたものではなかっただろうか。
 現在のフランスの歴史学者・宗教社会学者で、ライシテや共和国のイデオロギー装置を「市民宗教」の概念でとらえようとしている代表格は、オリヴィエ・イール、ジャン=ポール・ヴィレム、ジャン・ボベロなどだろう。けれども、反対意見も根強い。共和国は公共空間において宗教と手を切っており、アメリカの政教文化とは似ても似つかないのだから、それを市民宗教と呼ぶなどもってのほか、というのであろう。あるいは、ルソーの唱えた市民宗教は、ある意味でロベスピエールによって実現されていて、非常に不寛容な擬似国家宗教を生み出したという歴史的経緯があるので、ライシテは寛容の原理だと考えている人たちもこれを「市民宗教」のタームでとらえることを好まないということもあるのだろう。
 ともあれ、私にとっては、ライシテについて論じている政治家、研究者、論客たちが、フランスの政教関係を「市民宗教」という枠組みのなかで考えているか否かが興味深い(政治家には、まずいないと思うけれど)。ほかでもない、私自身が「市民宗教」という概念は洗練の余地があるし、フランスのライシテを分析する枠組みになると考えているからだ。「ライシテ=市民宗教」説に反対しそうなのは、アンリ・ペナ=ルイスやジャン=ポール・スコットなどだが(ミシェル・オンフレー、アンドレコント=スポンヴィルなどもそうだろうか)、私としては、反対説にはそこそこ耳を傾けて、賛成説をしっかり分析することが大事だと考えている。
 今回、イヴ・デロワの論文*1をパラッと見て驚いたのは、途中で見出しになっているタイトルから、彼がかなりはっきりとライシテを市民宗教の概念でとらえることに反対しているのではないかと思えたからだ。これが私の知らないような著者が書いたものなら、読まずに済ませたかもしれないが、イヴ・デロワと言えば、『学校と市民権』という名著で知られ*2、私も私なりにこの本に見られる手法――第三共和政期の道徳教育とそれまでのカトリックによる教育の「差異」を教科書の分析によってあぶりだす手法――に影響を受けたという経緯があるものだから、「彼が「ライシテ=市民宗教」説に反対というのなら、読んでおかなければ」と思ったのだ。
 ところが、実際に読んでみると、別に「ライシテ=市民宗教」説に反対という論が展開されているわけではない(中見出しは、デロワ自身じゃなくて、編者がつけたものなのかな)。トクヴィルを媒介にして、アメリカ・モデルとフランス・モデルの違いを浮き彫りにし、前者を「市民宗教」、後者を「ライシテ」と言っているだけの話。しかも議論は、トクヴィル研究者にとっては、おそらく常識的な範囲を出ていないと思われる。
 とはいえ、トクヴィルについては全くの素人の私にとっては、フランス・モデルとアメリカ・モデルを改めて頭のなかで整理するきっかけになった。また、トクヴィルの重要性――もしくはこの人物に対する再評価の機運が近年高まっている理由――がわかる気がした。
 かいつまんで言うと、トクヴィルアメリカを羨んだのは、この国が「歴史」を引きずっていないがゆえに(トクヴィルが生きた時代はアメリカが独立してから半世紀程度しか立っていない)、「革命」の鍵をなす「人権」の思想を、直接――つまりヨーロッパの旧い体制との抗争なしに(インディアンの征服という意味での抗争はあったにせよ)――取り入れることができた点にある。この国では、自由の精神と、宗教の精神が対立せず、調和しているとトクヴィルは観察する。アメリカの聖職者は、そもそもこの世のことを自分の説教の領域とは考えておらず、個々人の自由に委ねており、したがってこの世での利益追求を禁じたりはしない。これに対してフランスでは――とトクヴィルは嘆き節になる(なにせこの国では革命以来ちっとも社会秩序が落ち着いていないのだ)――自由の精神が、旧くからの宗教の精神と正面衝突してしまう。革命の精神に基づいた政治体制を打ち立てようとするなら、カトリックの影響力を公領域から取り除かざるを得ない。
 いまいまは、トクヴィルアメリカの政教関係について突っ込んで勉強する暇がなかなか取れないけれども、いずれきちんとやる必要があるだろう。そこまでいけなくても、他国の鏡に映ったフランスの自画像という観点はなるべく研究に取り入れていけるといい。フランス人がアメリカに対して微妙な気持ちを抱いているのは、新興国とは歴史が違うと心のどこかで思いながらも20世紀の二つの大戦で2回とも「助けられている」点が大きい気がするが、トクヴィルなんかを読むと19世紀の時点でも、一種の微妙な「羨望」があったことが見えてくる。19世紀の文脈だと、イギリスの「工業国」に対する「農業国」フランスという自負と劣等感もあっただろうし、普仏戦争後は何と言っても対ドイツ意識が強くなる。もちろん当時の西欧諸国の自意識と対外意識は、植民地拡張競争に最もよく現れているのだろうけど。
 トクヴィルに話を戻して、彼の診断の凄さは、現在にまで至るフランス・モデルとアメリカ・モデルの違いを正確に言い当てているところにあると言えるだろう。彼の思想がいま「旬」だということについては、三浦信孝氏のChroniques françaisesの記事(2005年10月12日)が要を得てわかりやすく、勉強になる。(き)

*1:Yves Déloye, « La laïcité française au prisme de son histoire », in Jean Birnbaum et Frédéric Viguier (dir.), La laïcité, une question au présent, Nantes, Cécile Defaut, 2006, pp.23-36.

*2:Yves Déloye, École et citoyenneté. L’individualisme républicain de Jules Ferry à Vichy : controverses, Paris, Presses de Sciences Po, 1994.