「日本人の死生観」(加藤周一)

 今月の頭にトゥールーズで行われた研究会では、死生学という切り口で、辻邦生の文学を読んでみるという試みをやってみたわけだが、もしこれを一回きりのイベント発表にするのではなく、何らかの形で後にもつなげていこうとするなら、テキスト内在的な読解で辻邦生の死生観をより深くとらえるという方向だけでなく、間テキスト性においてその特徴をとらえるという横の広がりも必要になってくるだろう。
 現に、研究会の打ち合わせのときと本番とでほとんど似た質問があって、それがまさに辻邦生の死生観を近現代の日本文学で位置づけるとしたらどういう作家とのかかわりが重要なのか、というものだった。暫定的にお答えしておいたのは、辻邦生は、もっぱら埴谷雄高の主催していた『近代文学』に初期作品を発表し、また『死霊』を座右に置いていたようなので、このかかわりは大事だと思います、ということ。
 家に帰って来て(ふ)に、辻邦生と同時代の日本の作家で「死」の問題っていったら、埴谷雄高のほかに誰かなあ、と言ったら、「作家・文学者たるもの、死について考えないってことはないんじゃない?」と。ハイ、そうですね。至言です。「でも、遠藤周作とか水上勉とか、辻邦生と同じ世代になるかな。一応キリスト教と仏教ということになるだろうから、面白いかも」。確かにこのあたりは実際に年も近くて、比べていったらいろいろと発見がありそうだ。
 ただ、今の段階では、このあたりのことを今後の研究課題のひとつにしていくかどうかはまったくわからず、「好きで読むもの」と「研究で読むもの」は、繋げていきたいような、分けておきたいような、といったところなのだが、まあ暇を見てときどき土壌を耕していく程度でいいのなら、くらいの気持ちである。

加藤周一セレクション〈5〉現代日本の文化と社会 (平凡社ライブラリー)

加藤周一セレクション〈5〉現代日本の文化と社会 (平凡社ライブラリー)

 前置きが長くなったが、そういうわけで、加藤周一の「日本人の死生観」(『加藤周一セレクション5』に所収されているもの)を読んだ。これは加藤がロバート・リフトン、マイケル・ラッシュと共著で出した『日本人の死生観』(岩波新書で上・下巻)の「終章」の一部ということで、その本で扱われている乃木希典森鷗外中江兆民河上肇正宗白鳥三島由紀夫の6人の「エリート」の死生観を通して、近代日本人の死生観の特徴を探ろうとするものである。
 辻邦生とのつながりで言えば、この6人のなかで一番関心をもつことになるのは、同年生まれの三島だろう(学習院つながりで乃木とは普通こないでしょう)。ただ、この二人は、なかなか同じ時代の作家という気がしない。まあ三島の方よっぽど早くデビューして、辻の新人時代は三島の晩年に当たっているわけだから、ある意味この印象は当然だろう。ただ、もっと本質的な違いがあるように思われる。ともに美しい日本語を書くという点では共通しているようでも、実質的にはまったく共通点がないように感じられてしまうのはなぜなのか。そのへんの違いがはっきりすれば、という期待を持って読みはじめた。
 論文全体の印象を言うと、一方では、なるほど、だいたいのところはそうかもしれない、この切り分け方は的を得ている、これは実に的確で言い得て妙だ、というところがあり、他方で、そうはいえないんじゃないか、雑漠としているように感じる、今の視点から見るとちょっと文化本質主義的なところが気になるなど、しばしばひっかかる。文章自体は明晰なのだが、そんな感じがしてしまうのは、やはり今から見るとなのだろうという気がする。ただ、上野千鶴子がその秀逸な「解説」で言うように、加藤周一はよく読めば歴史的であるし、書かれた文章をその時点での政治的状況にきちんと置きなおして、この時点でここまで言っていたという点を評価するように読まなければならないだろう。
 ともあれ、例えば、

近代日本社会では、相対的に、「エリート」のなかの大衆的な部分、また大衆のなかの潜在的「エリート」の要素が大きかったといえるだろう。われわれの六人の場合にも、大衆と共通な部分こそが、彼らの人格の重要な要素だったのである。

と言われると、なるほどそうかもしれないなと思うけれども、

西洋の近代社会との対比における日本の近代社会では、死の恐怖がより少く感じられるとしても不思議ではない。日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがあるのは、死の崇高化が著しいからでは決してなく、死の恐怖が少ないからである。」

というと、なぜ筆者がそういうふうにとらえているのか、その視点を理解するよう促されはしても、すんなりなるほどと思うよりは、ちょっと首を傾げてしまう。
 ただ、三島由紀夫についての次の評は、的確だと思った。

三島の生涯と作品が反映していたのは、戦後日本の都会の大衆文化である。商業主義、脚光を浴びる成功の必要、目標と注意の対象の目まぐるしい転換、アメリカに対する愛憎(反アメリカからアメリカ崇拝まで)、行動における突飛さ、表現における過度の誇張、故意にひかえめな言葉の欠如、一種のやぶれかぶれ主義とその生命力、手あたりしだいの教養と趣味、左右を問わぬイデオロギー不信、肉体礼讃、感情的生きがい主義、要するに贋物と本物、古いものと新しいもの、輸入品と自家製品、そのすべてを時代と場所の条件から抜き出してかきまぜたごった煮――そういうものの一切を、三島ほど見事に表現した人物は少かった。だからこそ日本での多くの読者が彼を歓迎したといえるだろう。また、だからこそ日本でのある種の読者が彼を無視したのである。日本の外では立派な英訳が彼を有名にした。しかも英語を通じて日本の戦後文学を知ろうとする読者には多くの選択がなかった。
しかし三島個人にとっては、時代を反映することだけが問題ではなかった。それは成功をもたらす生き方であるとともに、浅薄な生き方であるにすぎない、――ということを、三島自身は充分に知っていた。彼の究極の目標は、生きることではなかった。三島は死ぬために生きていた。そして彼は彼自身が望んだ死を死んだのである。その美学に従って儀式的な、天皇のための、細部まで完全に演出された死と、その死のなかのエロスの陶酔を。それはまったく個人的な目標であり、超越的な経験の欲求である。それによって時間と社会の限定は瞬間的に越えられるだろう。しかしその最後の瞬間においてさえも、三島はテレビの脚光を必要としたほど、あまりにも彼自身の流儀で戦後の日本に生きていた。」

ちなみに、猫屋さんのところ経由で、はじめて三島の肉声の入った動画を見ました。時代を感じる映像です。(き)